2003年4月の日記

 

入園式

あまり考えすぎないように

つかれた。。

気をとりなおして

緊急入院

やまない雨はなく

英会話講師

検査結果

桜が散ってしまう

小さな嘘

自転車!

天気の良い日曜日

経営者になるためには

長い一日

ハンサムなお医者さん

幼なじみ

親子とか夫婦とか

手術

手術のあと

忘れていたこと

ゴールデン・ウイーク

やりたいこと

目が回る

良い知らせ

2003年4月1日

入園式

今日は、ムスコ達の保育園の入園式。良いお天気。桜も咲いて綺麗。香港を出る前に買ったピンクのツーピースを着て支度していたら、マミィちゃん可愛い〜とムスコ達がはしゃいでいた。いつもGパンだったもんね(苦笑)。

式は午前中で終わってしまったので、帰りに買い物に行く。ムスコはただでさえデカイのだが、最近、とみに成長し、お洋服がつんつるてん。新しい肌着や、パジャマを買い込む。お天気がいいので、ぶらぶら歩き、公園に立ち寄ったりしながら、家路に着いた。

母は、今日の午後、MRIの検査だった。風邪をひいて、歯ぐきが腫れてしまったといって、帰ってくるなり、寝込んでしまう。気のせいか、最近すぐに風邪をひいたり、疲れやすかったり、ちょっとしたことでも、人よりひどい症状になるようだ。抵抗力がなくなっているのか。

手術の前日は、友人のSちゃんが泊まりこんで手伝ってくれることになった。手術は、6〜7時間の大手術になる予定。ムスコのお迎えに行けるか不安だったが、これで安心。ありがとう。手術後はゴールデンウイークに突入する。保育園もお休みになってしまうので、どうしようかと思案にくれていたら、香港来港時からの友人Wちゃんがムスコ達を預かってくれると言ってくれた。Wちゃんの子ども達とうちのムスコ達は仲良しだから、きっと喜ぶだろう。Sちゃん、Wちゃんのご主人様達には申し訳ないけど。。本当にありがとう。

食事のあと、洗い物をしていると、4歳になったばかりの下のムスコが手伝ってくれた。ゴム手袋をはめて、スポンジに洗剤をつけて、最後にあわあわ落とすんだよ、と教えると、ちゃんとできたぞ。良い子良い子。

紹介された英会話講師の話だが、紹介したセンターと別の講師達とトラブルがあったらしい。いわゆる、ドタキャン。しかも、2件続きで、講師側からキャンセルがあったとか。それ以来、私への紹介をためらっているよう。。小さい子どもが二人もいて、しかもシングルマザー、さらに親は病気じゃ、ハイリスク・ドタキャン因子だからな。条件悪すぎ。。

いったい、今月はどんな月になるのやら。。

 

2003年4月2日

あまり考えすぎないように

あまり考えすぎないように、今は、ジタバタしないように、のんびり過ごすことにしよう。どうしようもない時期はあるから。

今日は、朝から雨だった。せっかくの桜が散ってしまうのに。母は、昨日から歯ぐきが腫れるから病院へ行くと言う。以前住んでいた、電車で40分もかかる医者にかかるという。目の前に、総合病院があるのに、そこで入院するっていうのに、なんでまたそんな遠くの病院へ行くわけ!?

保育園へ子ども達を送って自宅に戻ると、母はすでに出かけた後だった。お昼を過ぎても戻ってこない。案の定、雨の中、電車を乗り継いで、以前、通っていた病院へ行ったらしい。しかも、以前よく行っていたスーパーで、山のように買い物をし、雨の中帰ってきた。帰ってくるなり、気分が悪いといって、吐いた。

言っても仕方のないことかもしれないけど、年をとるにつれて、「変化」に適応できない。通いなれた駅、電車、スーパー、病院。近くにもっと良い所があっても、「慣れた」所がいいという。

でも、私は怒ってしまう。すぐ近くの総合病院へ行けば、こんなことにならなかったのに。どうしてそんなことにこだわるのか、何も、遠くで買い物まですることはなかったのに。怒りが収まらない。

これは年のせいというより、母の性格なんだろう。物事がひどくなる前に、ちょっとだけ気をつければ、避けられることなのに。今回の病気だって、ちゃんと検診に行っておけば、すぐに病院へ行っておけばこんなにひどくなることはなかったのに。

と、言えなかったことをここで書いておこう。明日は、知人の誕生日なので、電話でおめでとう、と伝える。

この雨で、桜が散ってしまいませんように。

 

2003年4月3日

つかれた。。

なんだか最近、疲れる。眠くって、仕方がない。また、夜眠れなくなっているからだろうな。今も、眠い。。

こんな時、人から言われるちょっとしたことがカンに触ってしまう。上のムスコが時々、「香港のお父さんどうしてるかなあ」とつぶやく。それを聞いた親は、かわいそうにと言う。かわいそう?こんなに小さいのにという。じゃあ、私にどうしたらいいっていうわけ?親がよかれと思っても、子どもにとってそれが幸せとは限らない。自分を押し殺して、子どものためにといって過ごす人生だってあるだろう。それはそれで構わないと思う。自分で選ぶ人生なんだから。

悪気のない言葉でも、傷つくことはよくあること。時々、それで、いたたまれなくなる。居場所が無い感じ。早く一日一日が終わってくれればいいのに。全部終わってくれればいいのに。

今日は木曜日。一週間の半分が終わってしまった。桜をはじめてみるムスコ達は、しきりに、「きれいね」と言っている。ほんとにきれい。週末は、どこかへ出かけよう。

 

2003年4月4日

気をとりなおして

いつまでも落ち込んでいても仕方がないので、気を取り直そう。親が病気、子どもは小さいのだから、今、できることをしよう。

そんな時、またもや、老親から気になることをグサリ。
「この子はひらがなも書けなくてかわいそう」
おいおい。。またかよー(泣)。一日、一つでもいいから覚えさせてやれと、くどくどと言われる。年をとると心配性になるらしく、色々なことが気になるらしい。

帰国して、4ヶ月。その間に、自分の名前が書けるようになったでしょう。私の名前だって書いてるでしょうに。数字だって、全部わかってないけど、そこそこわかるようになってるでしょう。それでも親たちは言う。「勘でやってるのよ」。勘でもなんでもいいの。できるようになったんだから。「一度、病院で相談してみたら?」それはこっちの台詞。。

そういえば、上のムスコが小さかった頃、初めての子育てに戸惑うことばかりで、小さなことまで心配していた。体は人並み以上に大きいものの、のんびりやでマイペースの長男。この子は知能に問題があるんじゃないかと何度言われたことか。

そのたびに、かかりつけの小児科医に相談した。私のつまらない愚痴まで聞いて。
「どんな子でも、少しずつ、その子なりに成長しているならそれでいい。待ってあげなさい。子どもを信じてあげなさい」

不安な時に、信じることは意外に、難しいこと。子どものペースに合わせて、長所を伸ばしてやることは根気がいること。本人の問題というより、これは親の態度の問題もあるだろう。それより、こんなことで、自信を失ってしまう方が怖い。これから先は長いから、自信が無いと、自分を信じられないから。

できないことより、できる事を探してみよう。自分の名前が書けるようになったこと、数字の「5」と「1」が書けるようになったこと、飛行機を上手にブロックで作れること、おもちゃを組み合わせて、線路がある街を作れること、おはしが持てるようになったこと。弟の面倒を見てくれる、私の荷物を持ってくれる。できるようになったことはいっぱい。

これでいいのかな。ほかの5歳の子は、もっといっぱい色々なことができるのかもしれない。それでもいい。できるようになったのだから。

 

 

2003年4月5日

緊急入院

桜もきれいだし、このお休みがいい天気なら、花見にいこうと思っていたら、あいにくの雨。朝から、どしゃぶりの雨。

久しぶりに朝寝をして、遅い食事をして、食後に果物を切ったので、母に持っていったところ、布団の上にうずくまっている。嫌な予感。今朝がたから、ひどい胃痙攣で痛くて仕方が無いという。病院へ行かなきゃ。

一人で行けると言いはる母の言葉を無視し、タクシー会社に電話する。外に出ると、冬に逆戻りしたような寒さとひどい雨。

母は、痛みのあまり、口を聞くことも、動くことも辛そう。上のムスコが、タクシーに乗っている間、母の頭をなでたり、背中をさすったりしている。救急外来に入り、診察を受ける。検査、診察。数時間後、結果がわかった。急性の胆嚢炎。胆嚢が炎症を起こしており、即、入院になった。これは、急性の炎症だから、すぐに治療しなければならない。万が一、この炎症が長引けば、ガンの手術も遅れる可能性があるが、まずは、救急性のある病気を治療することになった。

休日の病院。人がまばら。静かな病院内を、ムスコ達がはしゃぎまわる。おばあちゃんの病気よくなるのかな、なおるのかなとしきりに言う。よくなるよ、きっと。

無事、入院することになった。先月、ガンの宣告を受けてから何度病院にかかったことか。いくら病院が近いとはいえ、私がいない間に、万が一のことが起こらないとはかぎらない。入院している方が安心かもしれない。幸い、完全看護の病院なので、全て、病院側に任せることにする。

この病院は、救急外来がしっかりしていることで地元では評判がいい。半官半民の病院なので、大学病院や国立病院のような旧弊さはない。最近、改装されたのか、建物も真新しく、設備も整っている。セカンドオピニオン、インフォームドコンセントといった日本では、まだ新しい医療への考え方も、医師や医療者たちに浸透している。任せよう。

検査や診察を待っていた長い時間、ぼんやり考え事をした。何度も、背負っているものをすべて放り出して、逃げたくなった。子どものこと、親のこと、これからのこと、お金のこと。でも、逃げたら、そのつけはもっと大きくなって返ってくるだろう。逃げ場なんてないのだ。どこにも。

一番、辛いのは母だろう。父の借金、最愛の息子の死、自分の病気。母のせいじゃない。全部。でも、結果として、母に一番負担がかかっている。私はこの母を助けるために、この世にいるのかなとそんな気がした。ガンの出血の時も、今回のことも、偶然にも、私がいた。本当に偶然、側にいた。偶然じゃなくて、必然だったのかもしれないと思う。

長い闘病になるだろう。

 

2003年4月6日

やまない雨はなく

やまない雨はなく、夜明けのこない夜もない。この言葉を聞いたのは、半年前のことだったか。その頃は、別の事に気をとられていて、これから自分がどうなっていくか、自分の気持ちをうまく処理できるのか不安だったり、去っていくものを手離すことができなくて辛かった。

昨日の夜、病院から戻り、子ども達を寝かしていた時のこと。上のムスコが、また、不思議なことを言う。
「神様がボクの耳のところで、おっきい声で言ったの。おばあちゃんは大丈夫だって。でも、病院に行っちゃいけなかったの。おうちにいなきゃいけなかったの」

そう言って、泣き出した。そういえば、帰国する前もムスコ二人が、不思議なことをよく言っていた。
「もう、おばあちゃんの所に帰ってもいいって言われたから帰ろう。」

夕暮れ時、逢魔が刻。むかしの人たちは、魔物が通り過ぎる時間と言って、恐れていた時間。この時刻になると、3歳の下の子が、早くおばあちゃんの所に帰らなきゃと行って泣き出した。

夜明け前。朝が来たから、早く帰ろうとせがんでいた。夜が来ると、今日も帰れなかったと言って、小さな肩をがっくりと落とす。

この子達が、今この場所に戻ってきたことも何か意味があることなのか。子どもはすごい。生きるエネルギーがあるから。けっして、諦めることなく、尽き果てないエネルギーに満ち溢れ、物事にとらわれることも、ずっと泣いていることもない。大人があれこれ心配しなくても、ちゃんと生きる知恵を身につけている。大人は、それを邪魔しないように、これから大きくなっていく子ども達を見守ったり、時には、軌道修正したりするだけでいい。

大人は、目先のことばかりに気を取られるから、自分のことばかり考えるから。結果ばかりにとらわれるから。今、やるべきことをしていれば、結果はついてくるもの。結果は、今、自分がやっていること、やってきたことがあらわれたにすぎず、けっして目標にはならないから。

 

2003年4月7日

英会話講師

本当に暖かい一日で、冬の名残はみじんも感じられず、歩いていると汗ばむほどの陽気だった。

今日は、英会話講師の体験授業の日。初日は、あいさつだけだと思い込んでいたが、そんなわけはない。送られるはずだった授業のマニュアルが届いていないことに気づき、前日の夜に慌てて送りなおしてもらう。

生徒は、新年少さん4人組。電車の中で、もらったマニュアルを何度も何度も読み返しながら、待ち合わせの場所へ行く。今日は初日なので、紹介センターのスタッフと同行し、授業の進め具合のサポートを受けられる。

幸いというか、派遣先は遠かったので、電車の中で授業の模擬レッスンを受けたり、質問をしながら現地に向かう。少し早めに到着したので、近くにあった桜が咲くきれいな公園で、授業で歌う歌の稽古をする。こんなんで大丈夫なんだろうか(大汗)。

現地到着。生徒は女の子二人と男の子二人。
「まず、最初に手をつないで、大きな輪を作ってね〜♪」
というと、早速、人見知りしてお母さんの膝に逃げ出す子どもあり(汗)。まだ3歳だから仕方ないもんね。

まずは、ごあいさつのお歌を歌い、一人ずつ自己紹介する。驚くべきことに、全員、簡単な英会話が成立するのだ。
「What's your name?」
と聞けば、
「My name is 〜」
とつかさず、答える。日本は英語学習が過熱していると聞いたが、本当らしい。その後、フラッシュカードを使ったり、英語の歌を歌いながら、英語で質問すると、全員がすべて理解していた(汗)。思ったより、授業が進めやすく、けっこうな盛り上がりであった。子ども達は皆、聞かれたことを素直に聞き、暗唱する。お勉強できそうな子たちであったのだ。

授業が無事終わり、帰り道。紹介センターの方が
「今日の授業ですが・・」
ぎくう。。何か不都合でも。どきどき。。
「こんなに勘がよくて、授業のサポートがいらなかった講師の方は初めてです。安心してみていられました!」
と、おだてられてちょっと気を良くしてしまった。えへ。そんなわけで、もう一件紹介してくれることになった。わーい。

帰り道、紹介センターのスタッフと色んなお話をする。彼女も小さな子どもがいて、子どもがいても自分と子どもに負担をかけないようにできる仕事はないかと探した挙句、自分で起業したのだった。ぱんださんも是非、何か始められたら、一緒に連携してやりましょう!と言われる。それには、先立つ資金が。。

バイトで始める英会話講師。もしかして、はまりそうな予感あり。
 

 

2003年4月8日

検査結果

今日は、母の検査結果が発表される日。春の嵐のような日で、せっかくの桜が散ってしまう。昨日、天気の良い公園で、桜がそれはそれは綺麗に咲いていて、花吹雪の中、英語の歌の練習をした。こんな綺麗で不安な春の一日。いつか、きっと、思い出す日が来るんだろう。

母が受けた検査は、組織診、MRIとCTスキャンだった。これで転移部位がわかる。転移は無かった。写真で見る限り、悪性腫瘍は子宮内だけにとどまり、卵巣にも、リンパ節にも転移はしていないようだ。ただし、手術で摘出する部位は、子宮、卵巣、リンパ節。転移の可能性が考えられる部位はすべて取り除くことになった。

子宮ガンだけなら、きっと治るはず。昨日、胆嚢にたまっている胆汁を注出する手術をしたばかり。ふつうなら、抗生物質で、炎症が治まるのを待つのだが、母の場合、ガンの手術の兼ね合いもあり、一刻も早く炎症を抑えるため、緊急手術を受ける。母が言うには、とても優しくて、わかりやすい説明をしてくれる先生だったそうで、安心した。本当に病院には恵まれたと思う。転院させてよかった。

母のような、医療の知識がまったくない素人に、わかりやすく説明するのは大変だと思う。今回は、母の説明を聞くと、病状が良く分かる。きっと、ちゃんと「理解」できたのだろう。良いお医者様に恵まれてよかった。

ガンの手術の予定日はそのままにする。おそらく、今月いっぱいは入院になるだろう。ゴールデンウイーク明けには、退院できるかしら。

先日受けた英会話講師の依頼。合っていたのか、仕事が次々に舞い込む。母の様子、子ども達のこと、家のこと。できる仕事だけこなしていこうと思う。

ともあれ、転移していなくてよかった。

 

2003年4月10日

桜が散ってしまう

桜が散ってしまう。ついこの間、咲いたばっかりなのに。

子ども達が通う保育園の庭に、さほど大きくはないけれど、背の高い桜の木があって、風が吹くと、桜の花びらが風に舞い、まるで雪のよう。子ども達は小さな手をいっぱい広げて、風に舞う桜の花びらを掴もうと走り回っている。空を見上げると、空いっぱいに枝を広げた桜の木が雪を降らせている。

久しぶりに日本に帰ったせいか、日本の四季の移り変わりに驚く。私に色々な事が降りかかっても、四季は毎年、同じように移り変わっている。

母は、結局、胆のう炎の緊急手術を、月曜日に受けた。胆嚢に膿がたくさん溜まっていて、それが流れないため、炎症を起こしていた。ふつうは、抗生物質の投与によって、ゆっくり炎症が治まるのを待つのだが、母の場合、子宮ガンの手術が控えていることと、腎臓の機能も低下していることから、緊急手術が行われることになった。

胆嚢にチューブを挿入し、そこから溜まった胆汁を外に出す。その後も、胆汁が膿でなくなるまで、チューブを挿入したままにする。このチューブが痛いらしく、体を動かすことも、息をするのも痛いという。本を差し入れても読むことができない。手紙を書こうにも、ペンを握る力もない。

私が見舞いに行くと必ず、「トイレに行きたい」という。トイレに行くには、まず起き上がらないといけない。でも、今の母にとって、起き上がることだけでも難儀なこと。手を貸してゆっくり起き上がり、スリッパを履かせ、そろりそろりと、トイレに向かう。ドアを開ける。パンツをおろす。体を動かすと激痛なので、手を貸せるところは手を貸す。

ふだんはどうやってトイレに行っているんだろう?いつもは、一人で行くという。完全看護の病院だから、看護婦さんにお願いしたらいいのに、と思うが、さすがに、下の世話は受けたくないらしい。元気な時は、人の世話をしても、自分が世話を受けることは嫌だと言っていた母が、すっかり気弱になっている。

24時間看護している看護婦さんたちに、差し入れにお菓子の箱を持っていくと、受け取れませんと言われた。よく病棟内を見ると、金品や物品の受け取りは一切お断りする旨が書いてあった。私が日本を離れたいた10年ほどの間に、日本の医療事情もよくなっているらしい。セカンドオピニオン、インフォームド・コンセントなど、この病院では当たり前のように使われている。医師や医療者が立場が上だと感じられることはない。以前は、当たり前のように行われていた金品の受け渡しも一切、禁じている。これが当たり前なんだ。

胆のう炎の炎症が治まり次第、ガンの手術になる。当初は、ガンの手術の日程が1ヶ月先で憂鬱だったが、世の中、うまく流れているもので、結果的には、これでよかったと思う。

術後、退院しても、完全に元の体に戻ることはないだろうなと、母を見て思う。うまく病気とつきあっていければいいのだけど。

 

 

2003年4月11日

小さな嘘

小さな嘘で、優しい気遣いを受ける。相手のつく小さな嘘がわかっても、私を気遣ってくれる嘘だとわかるから、黙っている。お礼を言っても、言い尽くせない。

去年買ったウォーキング・シューズ。街中でも10キロは歩けるというウォーキング・シューズ。買った当初は、高い買い物だったかなと思ったが、子ども達の保育園の送り迎え、母の病院への行き来。役に立ちまくりのウォーキング・シューズ。一日10キロ近く歩いているんじゃないか?私の人生において、無駄なものはないってことだ。あははー。あー、つかれる。。

私達が遠くから歩いて通園していることを知ったムスコのクラスメートのママ。彼女もシングルマザー。

「ぱんださんちの先に用事があるから、よかったら、乗っていかない?」
と、車で自宅まで送ってくれることになった。ムスコ達はおおはしゃぎ。家の前まで乗せてもらい、お礼を言って、車を降りる。

そして、車は来た道を引き返していった。彼女の家は、私とは全く正反対。用事なんて、なかったんだろう。でも、私達を送るためだけのために、自宅とは逆方向の私達の家まで送ってくれただけだった。

翌日、お礼を言ったけど、彼女がついた優しい小さな嘘のことは触れなかった。少しでも、負担を軽くしてくれた彼女の好意に対して、失礼だと思ったから。それを考えると泣けてくる。

他にもあった。私を傷つけないように細心の配慮をしながら、小さな嘘をつき、私の負担を軽くするように気遣ってくれる。やっぱり、泣けてくる。でも、彼女達の小さな嘘には気づかないふりをする。心の中でだけ、ありがとうを言って。

 

2003年4月12日

自転車!

人から好意ばかり受ける日々。友人の一人が、自転車をプレゼントしてくれた。自転車があれば、歩いて40分の所でも20分でいけるからといって。

天気の良い土曜日。真新しい自転車が到着する。嬉しくて泣けてくるー。えーん(号泣)。

ウォーキング・シューズを履いて歩いても、アスファルトの上を長時間歩くと、足がぱんぱんになり、足の裏が割れてきたり、まめができる。私の代わりに頼める状況でもなし、言っても仕方がないことだから、足の裏の話は秘密だったのに。

女友達からこんなに助けられるとは思ってもみなかった。結婚運がなくても(汗)、男運もなくても(大汗)、神様は私に欠けている分、ちゃんと別の所で補ってくれているのかなと思う。

さて、英会話講師として登録した会社の経営者の方から、一緒に仕事を手伝ってくれないかという話があった。彼女は、私と同じ年代の同じ年頃の子どもを持つママでもある。桜吹雪が舞う天気の良い公園で、授業の練習をしながら、この日は忘れられない日になるんじゃないかと思った日。

たった二回しか面識がないのに、こんなことを頼む彼女は勇気があると思うが、そこで、私も経営に参加したいと言い出す私もずうずうしいかもしれない(爆)。どのみち、子どもは小さい、親が病気では会社勤めをしても、あまり良い条件で働けるとは思えない。なら、この仕事に賭けてみてもいいかなと思う。もちろん、生活費は別にバイトで稼ぎながら。だめもとだ。絶対にうまくいく保証のある未来なんてないんだから。

 

 

2003年4月13日

天気の良い日曜日

今日は、暖かくて、天気の良い日曜日。半袖を着ている人もいたくらい、暖かい一日だった。

ゆっくり起きて、家事を済ませ、軽く食事をした後、いただいたばかりの自転車に乗って、母の見舞いに行く。上のムスコには自分の自転車に乗り、下のムスコは、私の後ろに乗せた。

いつもは車のいない公園ばかり走っていたムスコは、怖いという。車の通りの少ない道だから、大丈夫。歩道の広い所なら、歩道でもいいんだよ。新幹線の駅がある街なので、道路も歩道も広く舗装されている。住宅街を抜け、広い道に出る。横断歩道を横切るたびに、自転車から降り、慎重に何度も何度も車が来ないかを確認しているムスコ。よしよし。車が来なかったら、ゴーだ。

病院の前は、小さな川があって、川沿いの道は、サイクリングロードになっている。天気がいいので、芝生の上に、家族連れがいっぱいいる。何度も自転車を降りながら病院に向かったので、けっこう時間がかかってしまう。それでも、ちゃんと無事に目的地に着くことができた。

母は随分、顔色もよくなっている。ガン手術の前に、炎症が再発するといけないので、点滴と絶食はできるだけ長く続けることになった。母の場合、今後も、胆嚢や腎機能の問題が起こる可能性があるらしい。なら、ガン手術の時に、一緒に、胆嚢も摘出してしまおうという話を主治医がしていたらしい。その場合、婦人科医と外科医が連携して手術を行わなければならない。そのらへんのかけあいを、現在の主治医が進めてくれることになった。

言い方は悪いが、どうせお腹を切るなら、一緒に全部済ませてしまった方がいい。年をとってからの手術は、体力的にもきついから。今なら、まだ大丈夫。この一連の手術ができるなら、子宮、卵巣、リンパ節を婦人科医が摘出した後、外科医によって、胆嚢が摘出される。

いくら生命に関係のない臓器といっても、これだけの大手術をするわけだから、術後、体が回復するのは時間がかかるだろう。というか、完全に元の体に戻ることはないだろう。自分の新しい体とつきあっていかないといけない。

病院を出た後、川沿いの公園に立ち寄る。天気の良い日曜日は、人がいっぱいだ。ムスコ達は、知らない男の子と一緒に遊び始めた。ムスコ、特に、上の子は、誰とでも仲良くなれるのか、どこに連れて行っても心配することはなくなった。私にしがみついて泣いてばかりいた赤ちゃんの頃が、懐かしい。

帰りの道は、行きよりずっとスムーズに自転車に乗れた。怖がることなく、車道を渡る時は、車が来ないか確認して、前に進む。そうそう、そうやって前に進んでいくの。怖いのは最初だけ。前に進んでしまえば、怖いことなんてない。

天気の良い日曜日。母子三人で、自転車に乗って過ごした。楽しかった。また、行こうね。

 

2003年4月14日

経営者になるためには

今日は、紹介センターの経営者の方と話し合い。共同経営ということにするなら、細かい取り決めを交わしておかないと、今後、トラブルの原因になる可能性があるから、はっきり決められることは決めておいたほうがいい。最初が肝心。

はっきりいって、彼女とお会いするのはこれで3回目。プライベートで親しくなったのではなく、仕事に対するスタンスが同じだったことから始まったような気がする(多分)。

お金を稼ぐなら、もっと手っ取り早い方法はあるけど、今の私の悲惨な条件で、これからの一生を決めてしまいたくない。バイトをかけもちして、生活費だけは確保して、もう少し、自分に賭けてみたいというのは、甘すぎるんだろうかな。だめならだめでもいい。まだ、やりなおせるだろうから。ただ、このまま、小さく収まってしまいたくないだけ。

日本に帰り、仕事事情などを調べるにつけ、色々なことが見えてくる。世の中のお金の動き方。どんなにうまい宣伝文句を並べて、楽で、お徳だといっても、絶対に、企業は損しないようにできている。保険も語学学校もみんなそう。ボランティアでやっているわけじゃないのだから、会社は利益を出さなければならないから、当然といえば当然。ただ、消費者にはわからないように、良い面しか宣伝しないだけ。裏の面は、自分の判断で見抜かないといけない。

私に、金儲けなんてできるのかなあ。。(自信なげ)

 

2003年4月16日

長い一日

昨日は、めずらしく一日中、雨が降り続いた。雨の日は大変。3人で傘をさして歩くと、なかなか前に進めない。しかも、そういう日にかぎって、上の子がお腹をこわしていた。朝からまた、ウンがついてしまった(泣)。

子ども達を即効で、保育園に送った後、自宅に戻り、家事を済ませ、夕食の支度をし、母の病院に向かう。この日は、婦人科の外来診察があった。

胆嚢の主治医である消化器科の先生が、ガン手術と一緒に胆嚢も切除するという提案を出し、その許可を得るための診察だ。
「婦人科としてはかまいません。婦人科の手術は3,4時間ほどで終わる予定ですから、その後、胆嚢の摘出になります。麻酔科医、外科医の了解が得られればできると思います」

麻酔科医、外科医へのアレンジは、消化器の先生がしてくれるらしい。いい先生に恵まれたようで、にこにこしながら、
「胆嚢の病気はね。いい人がなるんですよ。ストレスを内にためてしまう人がなりますから、もっといい加減に生きましょうね」

なんてことを言ってくれるので、母は喜んでいた。念のために、胃カメラの検査を行うことになったが、例のごとく、母はやりたくないという。そしたら、先生はお願いしますから、やってくださいと頭を下げる。お医者さんに頭を下げられてまで、拒否はできないでしょう。結局、胃カメラも飲むことになった。

その後、英語の体験授業の打ち合わせ。この日は、小学校低学年の女の子グループ。色んな子を教えてみて思うのだけど、女の子は語学のセンスがあるようだ。これは、子どもに限らず、大人でもそうだと思う。女の人の方が上達が早い。英語は初めてらしいが、家でビデオを見たり、CDで英語の歌を聞くこともあるらしく、飲み込みがとても早い。

授業が終わったあと、せんせいにあげる〜と言って、可愛い絵とお手紙をもらった。「えいご、いっぱいおしえてください」なんて書いてあるのだ。可愛いなー(でれでれ)。会社勤めなんて考えずに、ずっと、子ども達に英語教えようかなと思う瞬間。しかし、この場合、お客さんは子どもじゃなく、お母さま。きっと、気苦労は絶えないだろうな。。

帰り道、紹介センターの経営者の方と、これからのことを話し合う。共同経営となると、やはり、金銭面や業務面で今度、トラブルが起こることは考えられる。仕事もお金もきっかり半分にわけることは不可能だから。互いにやりたい仕事が共通していて、互いに、手伝いたい、手伝って欲しいのだが、現実的に考えて、問題点が多すぎる。

同じ仕事を共にやるのではなく、私が何か別の事を始めて、業務提携という形で進めるのがいいのかな。一人でやるより、二人でやる方ができることは増えるけど。ともあれ、私は仕事に対する考え方は甘かったようで、他力本願ではもうやっていけない事態になっている。家の事情は仕方がない。これから先は長いのだから、まず、生活力をつけなければいけない。

落ち着けるようになるには、先は長いよう。今日も、長い一日だった。

 

2003年4月19日

ハンサムなお医者さん

暗い話題が多い昨今にしては、楽しそうな話題ができて嬉しい!(喜)

連日の病院通い、保育園の送り迎え、家事、食事の支度、その合間をぬってのバイトで疲れる。。しかも、病院で風邪をもらってきたらしく、鼻水は止まらない、喉がずっといがらっぽい。

昨日は、胆嚢を治療してくれているお医者さんから、今で受けた検査や治療の経過、今後のことの説明がある日だった。母の病棟に行くたびに、良い評判しか聞かないこの先生。きっと人のいいおじさんに違いない。夕方からの診察なので、子ども達を保育園に迎えに行った後、そのまま病院へ向かう。

子どもにはシールブックとお菓子、ジュースを持たせ、待合室で大人しくしているようによーく言い聞かせた後、お医者さんとの話し合いになった。

「あの方が、消化器のお医者さん」

え?!救急で母が、病院に担ぎ込まれた時に面倒を見てくれた人だ。一瞬、お医者さんかなと思ったが、あまりに若いので、きっと下っぱの看護士さんに違いないと思い込んでいたハンサム爽やか系青年だった。化粧直しておけばよかった。ちっ(舌打ち)。

さて、診察。CTスキャンや造影検査などのフィルムを一枚一枚丁寧にわかりやすく、説明してくれる。母は、急性の胆嚢炎を起こし入院し、その後の検査で、胆汁を摘出する処置を受けている。一般的に、胆嚢炎を引き起こす理由として、胆石が考えられるが、母の場合、胆石は検査では発見されていない。しかし、胆管が人の二倍近く膨れ上がっていることなどから、胆石があった可能性が考えられるらしい。ガン手術とともに、胆嚢も摘出する理由として、母は何度も胆石を起こしていた可能性もあり、今後も同じ症状が出ることは十分に考えられること、胆嚢を摘出する手術と今後の炎症ないし、胆嚢の疾患を引き起こすリスクを比べると、摘出する方が今度の病気の予防にもなることなどをあげていた。

それはもうわかりやすく、丁寧に説明してくれるハンサム医師。医者には、(絶対に)男前はいないという私の定説を見事にくつがえしてくれたこのお医者さん。特例もあるのだ。あっはっはー(喜びすぎ)!

病棟の女性患者が、みんなきゃーきゃー言っていた訳もわかった。だって、かっこいいから(誉めすぎ?)。しかも若い!(おやじみたい・・)。

ほんともう、生きててよかった(おおげさ)。毎日毎日、疲れ気味だったけど、たまには、いいこともあるんだ。いやん、もう、目の保養になっちゃった。楽しいなー、病院通い!

 

2003年4月20日

幼なじみ

私は、子どもの頃、引越しばかりしていたので、幼なじみはほとんどいない。不思議なことに、インターネットが普及したことで、偶然に、幼なじみの一人と連絡が取れるようになった。ネットで、離れていた長い時間を埋めるように、メールのやりとりをする。

彼女は、東京の一流国立大学を卒業し、卒業後は、郷里の雪国に戻った。仕事を続けながら、今は、3人目の赤ちゃんの誕生を待っている。もちろん、仕事はその後、ずっと続ける。

離れて暮らしている彼女の生活を思い浮かべる。きっと、誠実に、一生懸命に暮らしている日々のこと。

若い頃、子どもの頃は、生まれ持ったものが大きいだろう。恵まれた環境で生まれ育つ人もいる。何不自由ない生活を送り、才能や容姿にも恵まれている人もいる。若い頃は、自分の力では変えられないものに左右されてしまう。良い学校、良い会社、良い結婚相手。30代になり、恵まれているはずのものを持っていても、なぜか、幸せだと感じられない。

幸せは、自分で築き上げていくものだと気付かなければ、それは、幸せでもなんでもない。仕事も、家庭も、容姿ですら、日々の生活や生きてきた日々を表すものにすぎなくなる。せっかく、恵まれたものを持って生まれても、30を過ぎる頃には、それらを維持する努力をしなければ、まったく、意味のないものに変わっていることに気付く。気付いただけ、いいのかもしれない。

恵まれたたくさんのものを持っていた、別の幼なじみの境遇の話を耳にする。もっともっと恵まれて、幸せに暮らしているはずの未来。その未来は、自分自身で築き上げていくもので、築けなかったのなら、それは、自分の責任に過ぎないこと。

もう年だからなんて言わないで。気付いた時から、やり直せばいいだけなんだから。遅すぎることなんてないはずだから。

自分が好きな人たちには、幸せでいてほしいなと思う。離れていても、遠くにいても、何かの偶然で、連絡できる時、良い話を聞かせてほしいなと思う。自分もまた、いい話を聞かせたいと思う。だから、がんばって。

 

 

2003年4月21日

親子とか夫婦とか

病院で風邪をもらってしまった。母の見舞いに行くついでに、診察を受ける。

母の方は、随分、元気になったように見える。婦人科医から、手術の詳しい説明を受けたが、素人にもわかりやすく、術中、術後のリスクまで説明してくれた。万が一のリスクでも、ほとんど起こりえないリスクでも、100%安全な治療も手術もないのだから、医療者として説明してくれたこの医師に感謝。婦人科医は女医さんで、てきぱきと説明してくれた。

婦人科医による摘出部位は、子宮、両側の卵巣、骨盤内リンパ節の一部。良性腫瘍ではなく、悪性なので、子宮を支える筋も切除するため、手術時間は約3〜4時間。その後、胆嚢の摘出になる。目で見えるガン部位を摘出しても、細胞レベルでの転移の可能性は考えられるので、おそらく、術後は抗癌剤治療が必要になるだろうということだった。抗癌剤治療は、毎月、病院で1週間ほど入院して行われる。期間は、だいたい6ヶ月。今年いっぱいか。

ともあれ、治療もめやすがたったことで少し安心。たった半年の治療だと思えばいい。

この日は、微熱があって、だるくて仕方がない。そこで、母からとどめの一言。
「だったら、寝てればいいじゃないの。仕事もしてないくせに。看病だってしてないでしょうが」

こういわれてしまうと、誰のために仕事ができないの、と思わず、口に出しそうになり、ぐっとこらえる。じゃあ、誰が子ども達の面倒をみるの?食事のしたくは?家事は?

「お父さんだって、ゴミ捨てしてるでしょう。子どもって、それくらい覚悟して出てきたんでしょう。それくらいでへこたれて、これからどうするのよ。」

ゴミ出しだけでしょうが。。それは言っちゃいけないでしょう。。風邪ひいたことは黙っていればよかった。入院前は、散々、父の愚痴をこぼしていたのだが、やはり、頼りにはしているらしく、誉めちぎっている。

「私は、仕事さえちゃんとしてくれればそれでいいのよ。あなたの前のご主人とはちがってね」

はあ?まともに話を聞いていた私がバカだった。よく「別れたいけど、別れられない」といい、配偶者の愚痴をこぼす人はいる。でも、よく聞いていると、「別れたいけど、別れられない」じゃなくて、「別れたくない」のだと思う。経済的な理由、子どもがいるから、理由は色々あるけど、理由は何にしろ、相手を頼っていることは確かなんだから。頼ったり、頼られたり。別れたくないからこそ、ああしてほしい、こうしてほしいという愚痴が出るんだろう。

頼れる相手もおらず、頼れるのは自分だけ。愚痴は腹の中にしまう。私の生き方に文句を言われても、誰かが責任とってくれるわけでもなく、責任は自分でとっていかないといけない。私に愚痴をこぼして、自分の幸せを確認できるならそれでもいいけど。今の私にそれをされると、ちょっときついな。

ずるいな、と思うこともある。見方によっては、賢明な生き方なんだろう。たぶん、私が無茶で世間知らずだけなんだろう。

2週間も風邪が抜けない。熱は下がったよう。今日は、母の病院見舞いは休ませてもらう。午後から仕事。もう少し、がんばろう。

 

 

2003年4月24日

手術

昨日、母の手術が予定通り終わった。

手術の前日から、友人のSちゃんが泊まりこみで、手伝いに来てくれた。風邪気味で抗生物質を飲んでいるせいか、ちょっとだるい。下のムスコにも風邪がうつったよう。

前日は、手術に使うT字帯と腹帯2枚ずつ、ストッキング、タオル2枚持って、病院へ行く。この日は、外科医と麻酔科医から話がある。メインは婦人科のガン手術だから、なんか気合入ってない外科医たち(苦笑)。

「まあ、胆嚢摘出はおまけみたいなもんだからね」
そうなんだけど、頼みますよー。ちゃんと働いてくれ。話し合いの最中は、Sちゃんがムスコ達を見てくれた。おねえちゃんがきた〜と大喜び。

この総合病院には、手術室が全部で14あり、空き次第、手術になるので、手術時間は当日までわからない。午後になる可能性もあったのだが、最初の手術が早く終わったため、10時半から手術室入りになる。

大丈夫だから、と母に言ってみた。緊張感ただよわせてもしょうがないし。たいした手術じゃないみたいし、とも言ってみた。

手術当日。家族は、待合室で待機していなければならない。婦人科の手術時間は約3〜4時間、その後の胆嚢摘出は1〜2時間で終わるはずだから、6時間くらいかかるか。麻酔が効くまでの時間もあるから、待っている方はもっと長いだろうな。

勉強道具をたくさん持ち込み、雨の外を眺めながら、ひたすらテキストに集中する。途中、煙草でも吸いに外に出ようかとも思ったが、いちいち、看護婦さんに声をかけるのも面倒なので、じっと座っていることにする。

2時過ぎに、婦人科の先生が帰ってきた。この先生は、さばさばした若い女医さんで、透明のビニール袋に摘出した臓器を放り込み、ぶらぶら下げてやってきた。

「こんなとこで、見せるのもなんですが、誰もいないから」
いきなり、ビニール袋に入っている子宮を見せてくれた。

「この白いぶつぶつした所がガンですね。見たところ、ガンは子宮内だけにとどまっていて、転移はなさそうですが、念のために、検査をします。見た目では、子宮ガンT期です」

え、T期?!V期かW期を覚悟していたから、びっくりした。悪い方ばかり予想していたから、ガンはガンでもほっとした。T期なら大丈夫。

先生は、また、子宮をビニール袋に入れて、廊下を歩いて帰っていった。なんか好きだわ。この先生。

胆嚢の手術が終わるのを待っていたが、4時過ぎても外科医は現れず、ムスコのお迎えの時間が迫っていたので、父にまかせて病院を出た。この1ヶ月。本当に長かった。

いつになったら、手術の日が来るんだろうと思い続けていた手術当日。何かをしてもしなくても、ちゃんとやってきた。考えても考えなくても、明日はちゃんとやってくるのだと、妙に実感する。

子ども達にとっては、いつもと同じ一日だっただろう。成るようになるとか、収まる所に収まるからと言われ続けていたが、本当にそうなんだと思う。実際に、そうなってみないとわからないから。あまり先のことばかり考えてもし方がない。

なんだか気が抜けてしまった。退院は、5月の中頃になるらしい。桜が咲いている肌寒い時期に入院したから、退院する頃には、もっと爽やかで新緑がきれいな季節になっているだろう。これから、病院へ行ってきますー。

 

2003年4月25日

手術のあと

6時間ほどの長い手術がようやく終わった。ガンと診断されて、1ヶ月以上待ってようやく受けられた手術なのに、まだまだこれから長い治療になることを考えると、ほっとしてもいられない。

全身麻酔を長くかけていたせいで、ひどい副作用で、手術後からずっと吐き続け、一晩中眠れなかったらしい。これは、麻酔の副作用で、一時的なものだからと言ってみた。多分、そうなんだろう。

病院を出た後、これからのことを考えてみる。今まで起こったことも考えてみる。ほんの数ヶ月前は、別の事で頭を悩ませていたのだから、多少は、物事は進んでいるよう。今のことも、夏になる頃には、笑って話せるといいのに。

引越しも済み、子ども達の保育園も決まり、仕事のつながりも多少はできた。ただ、どこまで今、手を広げていいのやら、わからない。できれば、もう少し、安定した収入が欲しいのだけど、そうするには、当然、フルタイムで働かないといけない。いったん、働き出せば、そう簡単には休みをとったり、辞めたりできないだろうから、もう少し様子を見た方がいいのかな。と、考えている間にも、子ども達は日々、成長し、私は年をとっていくような気がして、時々、無性に焦ってどうしようもなくなってしまう。

日払い現金の水商売の広告を見ると、思わず注目してしまう(爆)。でも、目先のお金に目がくらんで大切なことを見落としてしまうような気がする。

世間は、もうすぐ連休みたい。久しぶりのゴールデンウイーク。みんなどこに行くのだろう。何して過ごすのかな。自分には関係のないことでも、ちょっと寂しくなるこの頃。

 

2003年4月26日

忘れていたこと

ここ数ヶ月の間、色んな事がいっぺんにやってきて、緊張しているのか、疲れがたまっているなと自分でも思う。休める時には休んでおこう。

母は、幸い、完全看護の病院に入院しているし、手術も無事に終わったことだから、あとは、ゆっくり回復してくれるのを待つことにしよう。人間の体は、機械じゃないから、大きな病気の後は、体が自然に休息を求めるんだと思う。多分、ある日、突然よくなるのではなくて、ゆっくり少しずつ、回復していくのだろう。

私の場合、忘れた頃に、大切なことが降ってくるらしく、来月の仕事の依頼があった。前に登録しておいた派遣会社。タイミングが悪くて、登録した頃には子どもの保育園が決まっておらず、保育園が決まってさあ、働こうと思ったときには、母が病気になった。長期の仕事は無理だから、単発の仕事の依頼に切り替えていたのだった。

仕事は1ヶ月先。3日間だけの展示会の受付兼通訳らしい。場所は地元だし、9時5時の仕事だから、大丈夫だろう。英会話講師の仕事は結局、すったもんだの末、土曜日になったので、平日はぽっかり空いていた。その頃には、母も退院しているだろうし。でも、そんなときに限って、子どもの保育園の給食室が工事のため、その週だけはお弁当持参だということに気がついた(大汗)。弁当作って、40分かけて保育園に子ども達を連れて行き、その後、現場に直行。5時半起きだ(滝汗)。。

忘れていたこともう一つ。翻訳会社へ履歴書を送っていたのだった。忘れていた頃に、トライアルの原稿が届く。この週末は、勉強三昧・・にしたいところだけど、ムスコ達をかまってやらないといけない。ちゃりんこで病院へ行った帰り、公園で遊ばせながら、私はベンチで原稿とにらめっこ。

とりあえず、当面の問題だけ、処理していくことにする。大変かどうかは、その時に考えるっ!これから、夕ご飯作ろう。

 

 

2003年4月27日

ゴールデン・ウイーク

世間一般では、今はゴールデン・ウイークらしい。今年は、休みが飛び石だから、今ひとつ、連休の浮かれ度は少ない。

子ども達をどこにも連れて行ってやれないな、と思っていたら、友人のWちゃんがムスコ達を泊りがけで預かってくれるという。でも、せっかくのお休みだし、ご主人もいるから申し訳ないな。「こんな時しか、助けてあげられないし、オットも困った時はお互い様だから構わないって言ってるから」というお言葉に甘えて、子ども達だけ預けることにした。ありがとうね(泣)。預かってくれている間に、自宅で仕事を済ませてしまおう。それに、ちょっとだけ、休ませてもらおうかな。

今日は、初夏のような爽やかで暖かい一日。ここ最近の休日の日課になっている病院通い。自転車に乗って、病院に向かう。下の小さいムスコも自分で自転車に乗りたい、というので、子ども二人は自転車に乗り、私は歩いて行く。小さいムスコの自転車の速度は、私が歩くより遅い(汗)。それでも、彼らなりに楽しんで自転車に乗っているからいいか。スコ達は、外食はあまり好きでないらしく、必ず、弁当持参。病院でおにぎりやらサンドイッチをほおばり、腹ごしらえした後は公園へ行くのだ。

母は術後、それなりに回復はしているが、やはり、時間がかかるようで、麻酔の後遺症の一つの咳と痰がひどい。食事は、入院以来ずっと絶食だったが、ここ数日、重湯に変わった。向かいのベッドの患者さんもガンらしく、抗癌剤治療のため、髪がすっかり抜けている。母もやっぱり必要なのかな、抗がん剤治療。

天気の良い休日の公園は、子ども達でいっぱい。例のごとく、上のムスコは知らない子どもと仲良く遊び始めた。
「ボクのお父さんはいないの。おじいちゃんだけ。おばあちゃんは病気で、病院にいるの」
と自己紹介していた(大汗)。聞こえないフリをして、仕事の原稿をチェックする。

帰りに、近くにあるホテルの地下にあるスーパーで食料品を買いだめする。ついでにお洋服も見ちゃった。仕事用の夏のスーツがないの。買いたいけど、次にしよう。

夕方、自宅に到着。洗濯物を取り込み、夏用の布団の入れ替えをしていたら、下のムスコがゲロを吐く。こんな時、室内がカーペットだと青くなってしまう。ゲロ吐きついでに、風呂に入れてしまい、夕食の支度。

ああ、今日もなんて長い一日。明日は平日。あさっては、またお休み。

 

2003年4月28日

やりたいこと

あれもやりたい、これもやりたい。

母の治療のめどはたった。仕事の方向性も少しずつたっているよう。子ども達は元気いっぱい。家事もやったし、ご飯も作った。でもやりたいことがいっぱい。

買い物行きたい、服買いたいし、靴も買いたい。ボディコンバットやりたい。エステも行きたい。美味しいもの食べたいし、飲みに行きたい。ゆっくり眠りたい。何も考えず、ごろごろしたい。あれもこれも。

やりたいことを思い浮かべるのは楽しい。毎日、やりたいことだけやって、好きなことだけして暮らしていたら、こんなことは思わないだろうから。

これは、夏の香港旅行の楽しみにとっておこう。早く、SARSが落ち着いてくれればいいのに。

 

2003年4月29日

目が回る

朝、起きたら、世界がまわっていた。体が起き上がらない。前にも、こんな事があった。随分、前に。これは、貧血!?

食事には気をつけるようにはしているんだけど、ここ数週間、いい加減に食べていたかもしれない。なんとか、起き上がった後、ビタミン剤を飲む。お腹をすかせているムスコ達に食事を作り、洗濯し、病院で食べる弁当をこしらえる。くらくらする。。

あー、寝ていたい気分。。機嫌が悪い私。こんな時にかぎって、つまらない理由で、下のムスコが朝から、ぎゃんぎゃん泣いている。そんなに泣きたいなら、ずっと泣いてなさい!と、お尻ぺんぺん。

不精で腰が重い上のムスコ。病院へ行こうとすると、タクシー呼んで〜と言う。タクシー呼ぶ?あんた何様のつもり!?機嫌が悪い私。だったら、一人で家にいなさい!と怒鳴ってしまう。鬼母だな、まったく。

大人しくなったムスコ二人。出かける前はいつもこれだよ。出かけてしまえばいいが、機嫌よくしているのに、出かける前の恒例行事。泣く、ごねる、ぐずるのオンパレードさ。さっさとやらんかいーー!!!ストレスたまりまくり、体調激悪のため、一触即発、キレやすい危ないヤツに変わっていた。

外に出ると、太陽がまぶしい。貧血のせいか、目がちかちかする。ここで切れたら、太陽のせいだ、と昔の小説の主人公みたいなことを考える。

母は、食欲も出てきたらしく、おにぎりなどをほおばっていた。検査結果は、全て出次第、患者と家族にきちんと説明してくれるらしく、術後、何も詳しい説明はなし。明日は、造影剤検査をするらしい。

病院の後、恒例の公園。ふらふらする。早く帰りたい。ちゃりんこ二人組を連れ、家路に着いたのは夕方近く。疲れたよ、ほんとにまったく、どうしてくれるんだよセニョリータ(意味不明)。

風呂上りにビール飲んで、風邪薬も飲んで、もうふらふら。早く寝よ。おやすみなさい。

 

2003年4月30日

良い知らせ

軽い貧血気味。お腹もこわしているので、今日は薬を飲んで横になっていた。友人の子どもに、小学校入学祝いを買いに行きたかったのだけど、天気も悪く、お腹の調子も悪いので今日はパス。

夕食を済ませ、片付けも終えた頃、電話が入る。病院にいる母からだった。先日の手術の結果の知らせだった。リンパ節にも転移がなかった。抗がん剤治療も必要ない。手術だけの治療で済んだのだった。

運がいいのか、あれだけひどい症状が出ていながら、転移もなく手術だけで済んだのは幸いだった。抜糸も済み、あとは、退院の日取りを決めるだけになった。家には子供たちがいるので、ゆっくり休めないから、連休明けあたりの退院がいいかもしれない。

ともあれ、終わった。疲れた。でも、よかった。今日で、4月は終わり。明日から、5月。幸先良いスタートになりますように。