2003年3月の日記

春の息吹

花粉症

雛祭り

日本の給食

就職活動報告

災難な一日

今日は雨

冬の水族館

お誕生日おめでとう

つり橋わたれ

がん告知

病院

全てはつながっているような

これからのこと

「I miss you」

幸せということ

人のつながり

戦争が始まるみたい

花粉のひどい一日

昔の恋の話

これからの仕事

騙される人

さくらさくら

勧誘されてしまった

仕事と子ども

祈り

日記

春休み

友人たち

2003年3月1日

春の息吹

今日から、3月。新しいデスクトップの壁紙のタイトルは「息吹」。先月は「氷の道」だった。今月は、本当に春の息吹を感じさせるような爽やかな画像。

3月のはじめの日は、冷たい雨が降る一日。気がつけば、帰国してもう3月も経っていた。休息や停滞の期間を経て、ようやく、色んな事が動き出したというか流れ出したという感じ。今は、この流れに乗っていかなきゃ。どんな川の流れも必ず、大海に流れ出すのだから。

今日は、早速、新しい健康保険証が届く。これで、こころおきなく病気になれる(喜)。来週の月曜日から、子ども達は給食の時間まで預かってもらえるので、派遣会社の登録に出かける。登録時間は、前回の会社よりさらに長く、3時間半ほどかかるらしい。英語の試験もあるそうだからしょうがないか。この間買った白いスーツ着ていこう。わーい。

仕事探しは今月、来月がヤマかな。仕事が出始めるのは、3月以降だから、タイミング的にはちょうどよかった。ババを掴まないように、慎重に探そう。一緒に仕事を始めないかと言う話もあるけど、今は、リスクの高い仕事はできない。まずは、安定。どこかの企業にもぐりこむ・・・じゃなかった入社しよう。落ち着いたら、色々手を伸ばしてもいいかな。頑張れる間は頑張ろう。

 

 

2003年3月2日

花粉症

春めいてきたこの頃。気持ちいいなと思いながら、外を歩いていると、へーっくしょん!くしゃみ、鼻水が止まらない。涙まで出てくる。そうだ、私は花粉症だった。

香港にはスギ花粉はないらしく、長年、日本を離れていたこともあり、忘れていた。そう、私は花粉症(涙)。はーっくしょん!

ポケットティッシュは手離せない。ありがたいことに日本では、街頭でポケットティッシュを配っている。出会い系うんぬん書いてあるけど、まあいい。中身はどうせティッシュペーパーだ。

ティッシュで鼻をかみながら歩く。せっかくいいお天気で、公園にいても、鼻水とくしゃみが止まらず、苦しい。ずるずる。。

花粉症患者は多いらしく、マスクをして歩いている人を良く見かける。マスクもそういえば、香港にはなかったな。していたのは、医者くらいだった。マスクは効き目があるのかしら。くしゅん!

 

 

2003年3月3日

雛祭り

今日は、3月3日の雛祭り。外を歩くと、梅の花が綺麗に咲いている。小さい女の子には梅の花が似合うかな。日本の春といえば桜だけど、桜は華やか過ぎて、少し毒を含んでいるようで、最近あまり好きになれなくなった。華やかさとか、散り際の見事さとか、存在感があるのだけど。

さて、今日から、ムスコ達は給食が始まるので、早速、派遣会社に登録に出かける。ハイヒール履いて、40分歩いて子どもを保育園に置いて、派遣会社へ。足が痛いよー。

さて、この派遣会社は、日系企業を多く紹介している業界大手の会社。日系企業に派遣するせいか、服装チェックや身だしなみについてながーい説明があった。前回の外資系登録会社ではそんなのなかったのに。そのながーい説明とは、
・服装はTPOに合わせて、清潔感にあふれるもの
・メークやマニキュアはパール系、光り物系は避け、できるだけ、ナチュラルなもの
・ストッキングは肌色のもので、網タイツや柄タイツは避ける
・靴はシンプルなもの
・髪型は、すっきりとまとめ、茶髪はだめ
・アクセサリーは結婚指輪以外、1個程度に控える
・ピアスは一個まで
などなど。

さて、登録終了後、面接がある。そので、担当の人がなんだかいいにくそうに私に問いかける。
「○さま、あの・・お指が少し・・」
え?なに?マニキュア?もしかして、マニキュアの色が派手?

「そうですね。。ええ。。ちょっと、お派手かと。。服装は結構ですが、日本の会社は地味なところもありますし。。」

ええーー!?まじーー!?今日は、地味なのにー(白いスーツ&ピンクのカットソー、フェラガモのハイヒール、ヴィトンのバッグ)。今日のマニキュアはピンク。そうね。ちょっとパールが入っているかもしれない。ついでにいえば、ストッキングは肌色だけど、実は、網目の柄つきだった。でも、座っていたから見えなかった(ばれなかった)。私の髪型(くるくるパーマ&茶髪)もなんだかいいだけだった。

そうか、日本企業に就職するには、服装チェックという高いハードルがあったのか。紹介している仕事の数自体は多いが、どうやら、私はおよびじゃないみたい。なんとなく、これはだめだなと思いながら、帰りの電車に乗った。

これからの就職活動、先が思いやられるかも。はあ。。
 

 

2003年3月4日

日本の給食

今週から、ムスコたちは保育園で給食を食べてくる。保育園の給食は、園ごとに作っているので、園によっては、子どもが好きそうなハンバーグとかカレーとかお子様ランチ的メニューにしてあるところもあるが、ムスコの保育園では、宗教的な理由なのか、野菜中心の給食。肉は、鶏ひき肉がたまに使われているのみで、あとは、野菜の煮物とかおひたしとか純日本食の食事である。

偏食気味のムスコちゃん。この給食に驚いたようだが、下のムスコは黙って何でも食べているらしい。この子はまだ小さいからか、我が強いわりにはちゃっかり適応しているようだ。末っ子らしく、泣いたり、ごねたりするわりには、散々泣いた後は、けろっとしている。

上のムスコは、この給食がお気に召さないらしく、
「香港の幼稚園は楽しかったなあ」
と口走り、保育園の先生を心配させている。この子の偏食は、どうやら、父親譲りらしく、食べたくないものは決して口にしない。これには頭を悩ませていたが、みんな一緒の給食なら、少しずつ偏食も直るに違いないとひそかにたくらむ。好きなものだけじゃなくて、なんでも食べるんだよ。

徒歩40分の保育園にも、だんだん慣れていた様子。最初は、遠い、疲れたを連発していたが、最近は、
「もうちゅいた!」
と、苦になっていない(とおもう)。いそいで歩けば、35分の記録も作った。子どもは歩け。足腰が丈夫になるから。

まだ、慣らし保育だから、お昼を食べてすぐお帰り。待っている間、私は、近所の図書館でお勉強。前回の試験では、マークシートの回答箇所を間違えて塗りつぶしていたという致命的なミスを犯してしまったので、次回にリベンジ。

今月は、学期末ということもあって、行事が多い。お仕事は来月以降だなあ。

 

 

2003年3月5日

就職活動報告

暖かくなったと思ったら、また、寒さに戻り、三寒四温とはまさにこのこと。今日も、風が冷たかった。毎朝、8時前に家を出るのだけど、おもての寒いこと、寒いこと。この道を、40分も歩かせるのは酷かなあと思ってしまう瞬間。

前回の派遣会社はどうも私の条件と合いそうも無いので、別の派遣会社にも登録しておくことにした。登録はただなのだ。前回のT社は扱っている会社の数は多いことは多いが、日系の会社・事務系の仕事が多いよう。その前のA社は、外資系が多いが、T社ほど数は多くない。友人が、P社もいいよと薦めてくれたので、早速、こちらもネットで登録。

P社のネット登録。一般常識テストも算数テスト、漢字の読み書きテストもすべて、自宅のPCで済ませられた。これなら、本登録の際の時間短縮になる。本登録の予約もネットですると、早速電話がかかってきて、来週早々に予約が入ることになった。

ネットで検索しているかぎり、たしかに、P社は大きな仕事を扱っている。時給もいいけど、仕事もハードそう。ここまできたら、全部調べられるだけ調べてから決めよう。

それにしても、風が冷たい今日この頃。早く暖かくならないかな。

 

 

2003年3月6日

災難な一日

ろくでもないことが立て続けに起こったり、失敗ばかり続く事がある。この間、一日に二度も飲み物をこぼしてしまった。子どもじゃない、わたし(赤面)。そして私は母に怒られた。

今朝、いつもどおり家を出て、40分かけて保育園まで歩いていく。慣れてくると、40分もあっという間だ(ということにしておく)。家から歩いて20分ほどすると、上のムスコがうんちをしたいと言い出す。ここは住宅街の真ん中。トイレなんてどこにもない。保育園まで我慢して歩きなさいと、歩かせた。保育園直前まで我慢できたけど、最後は我慢できず、パンツの中に。

朝から保育園のトイレの中でムスコのパンツを洗いながら、今日はウンがつきそうだと考える。図書館で勉強する予定を変更し、家に戻って洗濯と掃除。そして、午後にまた保育園に戻る。

帰り道。小雨がぱらついていたので、電車で帰った。途中、買い物をしたので、両手にスーパーの袋を持ち、ムスコ二人は後ろをちょこちょこ走りながらついてくる。

家まで、あと10分。突然、下のムスコの叫び声。後ろを振り向くと、下のムスコが転んで、地面に顔面をぶつけていた。靴もぬげてる。あららー。抱き起こすと、ぎゃーー!流血だ!!顔中血だらけ。落ち着け、落ち着け。出血箇所は。。鼻から、鼻血だ。

急いでティッシュを取り出し、血を拭い取る。それでも、血がぽたぽた流れてくる。このあたりは、昔からある住宅地。このあたりの人たちはみんな明るくて親切、悪く言えば、口うるさいが。通りすがりの人たちが、
「ティッシュ使って。」
と私にティッシュを渡してくれる。ありがとう。少々、パニック気味の私。お礼もちゃんと言えなかった。すみません、すみませんと言いながら、血だらけになったムスコの血をふき取るのに精一杯。

小雨がぱらついている。早く帰らないと。そんな時、下のムスコは血まみれの顔を上げて、一言。
「おしっこ」
トイレ無いんだよー。しょうがないから、横の植木の中でさせてしまった。すると、早速通りすがりの女の人に怒られる。
「あなたね。よその家の前でおしっこさせるなんて。自分だって家の前でされたら嫌でしょ。トイレはね。あそこの中にあるのよ」
すみません、すみません。見知らぬ女の人は、ムスコのひどい顔と私の手に握られている血だらけのティッシュに気づく。
「どうしたの?!」
ちょっとそこで怪我してしまって。

歩道には血が点々とついている。
「ティッシュは足りてるの?」
大丈夫。さっきたくさんいただいて。子どもの顔と手の血と歩道についた血をぬぐいとる。ちゃんと、手をつないで歩こう。

そう、ちゃんと小さいムスコの手を握っていればこんなことにならなかったはず。これから、手をつないでいこう。
 

 

2003年3月7日

今日は雨

今日は朝から雨が降り続いている。昨日の真夜中に、目が覚めたときも雨の音がしていたので、昨晩から降っていたにちがいない。

冬の雨はきらい。暗くてさむいから。こんな日はできれば家にずっといたいけど、そんなわけにもいかず、いつもどおり、子ども達と家を出る。

昨日は、小雨の中、下のムスコが転んでしまったので、今日はしっかり手をつないで歩く。手をつなぐと、小さな下のムスコは片手で傘を持つ事が出来ない。途中から、私の傘に一緒に入ったら、保育園につく頃にはびしょぬれになってしまった。

「こんなに日靴はいてる!」
保育園の他の子ども達から言われる。そうか、日本は雨の日には長靴を履くんだった。長靴は去年、帰国したばかりの頃買ったけれど、履き慣れない子ども達は嫌がって履こうとしなかった。でも、こんな雨の日は長靴が必要。今度からちゃんと長靴で来ようね。

子どもを保育園に送った後、友人に渡すものがあったので、そのまま電車に乗っていく。遠足に行くときの、水筒も買わないといけない。あいかわらずぼんやりしている私は、またもや、降りる駅を間違えてしまった。

ようやく着いた駅から、冷たい冬の雨が降り続ける中、ひとりで歩いていく。寒くて、手がかじかんでしまいそう。早く冬なんて終わればいいのに。

友人宅で、温かいコーヒーをごちそうになりながら、仕事の話なんかを聞く。彼女は、NYでずっと働いていた人なので、外資系関係の仕事に詳しい。強くならないと、外資では働けないよと言われる。私は大丈夫なのかな。あなたが変わればいいだけでしょうと、あっさり答えられた。なるほどね。

保育園に子どもを迎えに行かなくちゃ。その前に、水筒を買い、写真屋さんに立ち寄り、銀行へ行く。夕方からは、浴室のドアを取り替えるための業者さんが採寸に来るから、それまでに家に戻らないと。

あまり寒かったのと、昨日、子どもが転んでしまったことなどを自分への言い訳にしながら、駅からタクシーに乗る。たまにはいいや。

暖かい家の中。下のムスコはもうすぐ誕生日。明日の休みは、水族館へ行こう。

 

 

2003年3月9日

冬の水族館

もうすぐ下のムスコのお誕生日なので、久しぶりに水族館へ行ってきた。モノを買ってやってもすぐに忘れちゃうので、楽しい所に遊びに連れて行ってやろうと思ったものの、休日はできればごろごろしていたい気分。休みになると、ごろごろしてしまうお父さんたちの気持ちが少しわかったりして。

この水族館は、日本一広いらしい。あまり期待していなかったが、期待以上の面白さ!子どもが遊ぶところはいっぱいあるし、お魚もいっぱい、イルカのショーを見たり、ボートに乗ったり楽しい時間を過ごす。

休日の水族館は、家族連れとカップルでいっぱい。カップルの場合、これはデートだから、女の子は着飾って可愛い。しかし、家族連れになると、女の人の顔がよそゆきではなく、普段着の顔をしている。服装がとかではなくて、雰囲気とか顔つきが。

そよゆきの顔なら、にこやかに会話を楽しんだり、おしゃれしたりする気になるけど、結婚すると、それがなくなり、ただ一緒にいるという感じ。一緒にいても、別々の世界を見ているよう。いつも別々に住んでいる恋人同士が、たまに会うときだけ、同じ世界を見られるのかもしれない。

これは、女の人にかぎらず、男の人に関しても同じだろうけど、女の豹変ぶりの方が凄いような気がする。同じ人間をここまで変えてしまう、結婚生活とは怖ろしいものかもしれない。結婚とは、女の人に安心感を与えてくれるのは確かかも。わずらわしい面もあるけど。

日中、日がさしている間は暖かい水族館。でも、この海の側にある水族館は、夕暮れ時になると、つめたい海風が吹き込み、凍えそう。今度は、上のムスコのお誕生日にも来ようと約束した。

また行こう、水族館。

 

 

2003年3月10日

お誕生日おめでとう

今日は、下のムスコの誕生日。

早いもので、もう4年経った。4年前のあの日、まだ赤ちゃんの上のムスコがぐずるので、夜、あまり眠れないまま、職場に向かう。思えば、上のムスコは私がその日、帰ってこれないのがわかったらしく、朝も泣いて私を困らせたっけ。

結局、仕事中に下のムスコが生まれてしまった。元気に生まれるはずだったのに、出産後に、羊水を飲み込んでしまい、それが肺に入り、呼吸困難になり、そのまま保育器に入れられる。たった一人の分娩室、病室でも一人。まだ、ちゃんんと抱くこともできないのに、このまま逝ってしまったらどうしようと泣いていた日。

幸い、合併症も悪化せず、無事に退院することができた。でも、その後、下のムスコは体が弱く、病院通いの毎日。それでも私は幸せだった。だって、可愛い二人のムスコに恵まれたから。

あれから4年。上のムスコもすっかりお兄ちゃんになり、下のムスコは大好きなお兄ちゃんの後ばかりついて歩いている。体が弱くて、病院にばかり行っていた日が嘘のよう。月日が経つというのはこういうことか。あの時は、この先どうなるかわからなかったけど、結局は、なるようになったし、物事は収まるところに収まっているような気がする。私にとっての4年間。

明日は、遠足。これから、夕ご飯と明日のお弁当の材料を買いに行こう。お誕生日おめでとう!

 

 

2003年3月11日

つり橋わたれ

つり橋の心理という言葉を聞いた事がある。つり橋を渡る時、ゆらゆら揺れるので少し緊張しながら渡る。そんな時、向かい側から、または、向こう岸に人がいたら、思わず、すがりたくなる、頼りたくなる。普通の状態で出会う時より、相手が数段よく見える。相手がどんな人であろうと、助けてくれる人であろうとなかろうと、救ってくれるかもしれないと期待してしまう。

私は今、ゆらゆら揺れているつり橋を渡っている。走ったらもっと揺れてしまうので、ゆっくり渡る。安全な向かい岸から励ましの声をかけてくれる人達がいても、よそ見をしちゃいけない。脇目を触れずにまっすぐ前だけを見て歩く。

今、よそ見をしたら、下に落ちてしまうかもしれない。足を踏み外してしまうかもしれない。だから、安全な場所から声をかける人に頼ってはいけない。そういう人たちは、けっして安全な場所から出ることはなく、私を救えるはずもなく、頼ることなどできないのだから。

もっとも、自分を救えるのは結局は自分だけだから、寂しさとか不安とか過去の傷とか、他のひとに癒してもらうことなどできないのかもしれない。

傷が癒えるには時間がかかる。跡が残っても、ずっと血を流し続けていることはないだろうから、いずれ、時間が経てば癒えるにちがいない。

だから、今は、よそ見はせずに、一時的な支えとか癒しとかは求めずに、前を向いて歩こう。

 

 

2003年3月12日

がん告知

母が泣きながら、病院から帰ってきた。話を聞いてみると、外来の診察で突然、がんだと断言されたらしい。検査結果も見ないで、がんの診断を下せるんだろうか?仮にそうであっても、順序として間違ってやしないか?

まあ、母が一人で言ったので詳しい状況はのみこめない。別の病院でセカンドオピニオンを求めようと思う。でも、そういった場合、日本では医師の紹介状がないと診てもらえない。つてを探して、紹介状を作成してもらうしかない。

そんなわけで、就職活動は一時休戦。考えようによっては、仕事してなくてよかった。納得のいかないことだらけ。どうなってるんだろう、日本の病院。

 

 

2003年3月13日

病院

女の人はわりと感情的になりやすいが、母もまた、(かなり)感情的になってしまうタイプ。母の話を聞いても今ひとつ、よくわからないので、別の病院に連れて行くことにした。

家の近所に大きな病院があって、評判がいいらしいので、早速行ってみる。事前に電話で問い合わせてみると、紹介状がなくても、初診料に3000円ほど追加で払えば診てもらえるらしい。

初診受付で待つこと30分、その後、婦人科の待合室で待つこと2時間、ようやく先生に診てもらったのは午後だった。優しそうな若い女医さんで、明快に簡潔に説明してくれた。先生の話によると、子宮に腫瘍が見られ、悪性の可能性も考えられるということ、検査結果を見ないとなんともいえないが、良性にしろ、悪性にしろ、なんらかの処置は必要だと言うことだった。
「来週の検査結果は、部長から説明があります。どういった処置になるかは部長の判断になります。」

部長?婦人科の部長ってことか?ともかく、しかるべき時期に適切な処置をすれば大丈夫だろうと私は考えている。やるだけやって後は、運を天に任せるよりほかないし。おそらく、手術が必要だろう。

いいように解釈すれば、私が出戻りでよかった。仕事が決まってなくてよかった。

 

 

2003年3月14日

全てはつながっているような

ここ数年間の私の生活。はたから見たら、不幸が集まっているように思うだろう。実際に、大変。どうしてこうなっちゃうんだろう?この世の中に、神様とかいるのなら、随分、イジワルじゃない。それとも、試してるのか。苦労の多い人生を与えられたような気がするけど、これが私の人生ならしょうがない。

別々に起こったような一連の出来事も、考えてみると、すべては繋がっているような気もする。あの時があったから、今があるという感じで。

先のことはわからないから、色々考えても始まらないが、やるだけやれば結果はそれについてくるんじゃないかと思う。結果を考えながら、賢く人生設計ができればいいのだけど、予想外のことが起きれば、そんな計画は粉々になってしまうのだから。あとからああすればよかったとか、後悔しながらの人生は送りたくないから、これでいいんだと思う。多分、背負いきれない荷物は与えられていないと思うから。

 

 

2003年3月14日

これからのこと

今日の午後、母が大量に出血した。母は病院へ行くことを拒否したが、無理やり連れて行く。前回の出血の時もすぐに連れて行けばよかった。

時刻は正午。前回、診察してもらった時間と同じくらい。ということは、婦人科の受診はまだやっているはず。即、電話をすると、すぐに来てくださいと言われたので、タクシー会社へ電話し、午後の工事の予定をキャンセルする。

非常事態に強い人とそうじゃない人がいるが、私は、非常事態になればなるほど、冷静に頭が働く。お金、保険証、念のために生理用品、携帯電話、タオルを持ってタクシーに乗り込む。

病院に着く。混んでいるので30分待つ。運がいいことに、婦人科の部長先生に受診することができた。この部長先生。頭がまるで鳥の巣のようにぼさぼさだ。寝起き?まだ若そうだけど、丁寧に、そして、かなりはっきりと説明してくれた。

やはり、ガンだった。母は転院してきているので、今後の治療はどこでするかという話になったが、婦人科系の手術は日本全国どこで治療しても、やり方は同じだということだった。これから長いつきあいになるから、近いほうがいい。この病院なら、今後、急に容態が悪くなっても、タクシーで一区間。ここなら、私も毎日通える。

ガンと一口にいっても、程度は色々だと思うが、母の場合、すでに症状が出ていることから、初期ではないだろう。願わくば、他の臓器や組織に転移していなければいいんだけど。

手術の話になる。信じられないことに、4月後半まで予約がいっぱいだった。日本はどこの総合病院でも同じらしい。割り込みしようにも、同じような病気の患者を押しのけることになるから、それはできないと言われた。CTスキャン、MRIで2週間待ち。全部の検査をして、結果を待っているだけで数週間かかることになる。とりあえず、手術の日だけ予約。

万が一、手の施しようがないくらい末期であれば、何もしない。かえって、寿命を縮めることになるから。出血を止める方法も、手術だけだということだから、何もせず、話だけ聞いて帰る。来週の組織診と血液検査(腫瘍マーカー)の結果を待とう。

こんなことを考える。離婚して、親元に帰っていてよかった。海外にいたら、付き添いどころか、見舞いもできるかわからない。私がいなければ、母は病院など行きはしないだろうから。日本の婦人科では、なぜか、男性の出入りを禁止しているのだ。引越しも終わった。子どもは保育園へ行っているから、私は母について動ける。あまり、考えても仕方が無いので、あとは運を天にまかせよう。

 

 

2003年3月15日

「I miss you」

嘘でもいいから、口先だけでもいいから、言われるとやっぱり嬉しい。「I'm missing you」

ついこの間、つり橋は一人で渡れると決めたはずなのに。自分ひとりで抱え込むには重過ぎるから、少しは寄りかかっても、頼ってもいいのかな。

ほんの一時期だけでいいから、私が辛い時だけでいいから、真実じゃなくてもいいから、ずるくてもいいから、ちょっとだけ休ませてくれますように。

 

 

2003年3月16日

幸せということ

今日は、日曜日。母と子ども達と一緒に買い物に出かける。組織診と血液検査の結果は今週の火曜日にわかる。家で悶々としていても仕方がないもの。

ここ数日、知り合いの医師に聞いたり、自分でも調べてみたりしたが、子宮体ガンと一口にいっても、程度や進行の度合いによって、TからW段階にまで分かれているらしい。医師からの話から推測すると、母は、すでに、T、Uの段階ではないだろう。V期か、最悪、W期。V期であれば、まだ、手術が可能。W期なら、手術はもうできない。手術を行って、ガンの部位を切除できる段階ならいいが、あまり進行している場合、手術はかえって、寿命を縮めてしまうことになると言っていた。

手術ができる範囲の転移であれば、きっと、治ると思う。おそらく、手術ができても、それだけでは終わらないだろうから、その後、放射線治療や化学療法が行われるだろう。あまり、痛くない治療になればいいのだけど。。

いつものように、デパートで買い物をして、みんなで一緒に食事をする。いつもとおなじ一日。

父は、人を励ましたり、力づけたりという事が出来ない人で、沈黙に耐えられないのか、休みの日になると、どこかへ出かけてしまう。私がいるから、任せられるということなんだろうけど。見合い結婚で、それなりに事情とかあるのだろうが、自分が決めた結婚相手だし、別れないのも自分の選択だから、これに関しては、とやかくいえない。

母は私に、あなたは幸せだと言った。子どもがいても別れる勇気があって、こんな私でも、力になってくれる物好きな人がいるから。幸せかどうかは、人が決めることではないから、私が幸せかどうかは、私にしか感じられないこと。私は自分が考えて決めたことに対して、特別、後悔はしていないし、人から苦労をしているように見られても、「苦労」しているという感はない。

たしかに、人より色んな事が起こるなあとは思うけど、起こってしまったものは仕方がない。私は単純だから、悲しい事が起こると人一倍悲しいが、嬉しい時は、人一倍嬉しくなる。だから、プラス・マイナスゼロだ。一生の間の、感情のバロメータなんて皆、同じじゃないかと思う。

明日は、いいことありますように(こればっか)。

 

 

2003年3月17日

人のつながり

帰国してから、色々なことがあり、余裕がなかったこともあり、積極的に新しい知り合いをつくっていなかった。別段、隠すわけではないけれど、自分たちが今ここにいる事情を説明するのが面倒だというのもあって。

子ども達が保育園に行き始めてから、ママたちと知り合う機会が多くなる。気さくな人が多いこの保育園。ある時、上のムスコが仲良くしている子のママが話しかけてきた。どこに住んでいたの?というごく当たり前の質問にも、ながーい説明が必要な私。でも、聞かれるとはっきりと答えることにしている。離婚して、香港からきたの。

「えー、そうなんだ!私と一緒ー!!」
え?一緒?彼女もシングルマザーだった。

「○○ちゃんも、○○くんもみーんなそうよ。頑張ろうねっ!」
ぎょぎょ!そんなにたくさん。聞くと、彼女はシングルマザー歴5年。ということは、子どもが生まれてすぐに別れて、一人で育てているんだ。赤ちゃん連れて働くのは大変だったろうに。

「そんなことない。かえって、その方がよかったよ。」
楽しそうにお喋りしている彼女のムスコちゃんを見ると、幸せそう。彼女も幸せそう。これでよかったんだね。

先日、下のムスコのクラス懇談会のお知らせがあったが、母のことがあり、私は出席できない。メールで欠席の旨を送った。そうしたら、私のHPも見てくれたらしい。彼女は、HP製作の仕事をしているそうで、素敵なHPですねと言われてちょっと嬉しい(えへ)。在宅でできる仕事があったら、教えてくださいと思わず書いてしまった。

そう、今現在の事情が事情だから、外で働くのは無理。外がだめなら家の中。家でできる仕事さがそう。

 

 

2003年3月18日

戦争が始まるみたい

とうとう戦争が始まるみたい。テレビをつけると、一日中、戦争の話をしている。街を歩けば、戦争反対の署名運動をしていた。同じ保育園のママから、灯油の値段があがるらしいと聞いた。起こって欲しくないことでも、起こってしまうんだろうか。

今日は、母に付き添って病院へ行く。抵抗力が落ちているせいか、膀胱炎になったらしい。抗生物質をもらう。出血が続いているせいで、少し貧血気味らしい。鉄剤は、胃腸に負担がかかるので、薬局で鉄分入りドリンク剤を買う。友人の紹介で、ガンに効くという漢方薬の注文をする。

午後は、区役所へ行き、医師の診断書を転出する。子どもの保育園入園理由を求職中にしていたのだが、仕事どころじゃなくなったので、母の介護理由に変更。これで、保育園の心配はなくなった。

おかしなことだけど、私が出戻りでよかったです、というと、区役所の職員さんが笑っていた。だって、ほんとにそうだもん。

友人の紹介で、私も生命保険に入ろうと思う。この先何があるかわからないから。

人の命はかけがえのないもの。なのに、血で血を争うのはどうしてなんだろう?

 

2003年3月20日

花粉のひどい一日

今日は、いつもより暖かい日。しかし、花粉がひどく、朝、保育園への道すがら、鼻水がとまらない。嫌な予感。結局、一日中、くしゃみと鼻水と戦いながら終わるような気がする。へっくしょん!

日本は明日から連休なので、保育園は早く終わってしまう。預けている間に、英会話講師紹介センターに登録にいく。フルタイムで働くのは、母が病気だから無理だけど、短い時間で効率よく稼ぐには、英語のせんせいはいいかもしれないと突然、思い立ち、ネットで調べて、履歴書を送ったら、ちょうど、今日が登録日だったというわけだ。実は、香港でも子どもに英語を教えていた事があったから、一応、「経験者」ってことになった。

語学学校の専属になると、時給はかなり安い。ネイティブがメインになるからしょうがない。自分で、教室を開くと成ると、コストもかかるし、生徒が集まらないというリスクもあり、自分で営業から宣伝からすべてやらないといけない。

この紹介センターの経営者は、私とさほど年の違わない女性で、子連れ働く辛さとか大変さをよくわかっている。赤ちゃんが熱を出しても仕事をしなければならない、小さい子を小脇に抱え、英語の授業を行いながら、何か始めなければと思い、始めた会社が講師の紹介というわけ。

英語の面接があり、自己紹介をして下さいといわれたので、自分の身の上を話し始めたら、あまりの悲惨さに先生びっくり(苦笑)。私も自分で話してて、ひどい話だなあと思った。なんだか、同情されたのか、がんばってとか言われる。

久しぶりに、ハイヒール履いて歩き回ったので、足が痛い。鼻水は止まらないわ、忙しくて、お昼も食べられなかった(涙)。お腹がすくと、私は機嫌が悪くなるので、子どもを怒る頻度がアップする。ごめんよー。

 

2003年3月21日

昔の恋の話

むかしむかし、ものすごく好きな人がいた。結局、縁がなかったのか、特別、進展もなく離れ離れになった。

今、考えればあほな話だが、一緒になれなくても、ずっと側にいられなくても、その人と同じ空気を吸って、同じ空の下を歩いているだけでも幸せだった。街を歩いていれば、どこかで出会えるかもしれないと考えただけで、わくわくできた。

事情があって、その人は遠くに行ってしまった。朝、目が覚めて、もう会えないんだと思い出しただけで憂鬱だった。この街のどこを探しても、彼はいないということを考えただけで、涙が出てきた。外に出られなくなった。毎日毎日、呆けたように日々を過ごし、ぼんやり空を眺めたりした。いなくなったということ、もう会えなくなるかもしれないということがうまく、理解できなかった。

あの時の、寄る辺もない情けない気持ちを、今でも、時々思い出す。私はきっとひどい顔していたと思う。

よく縁があるとかないとかいうが、出逢えて互いに好きになったんだから、縁はあるんじゃないの。でも、一緒になるには、きっと特別な縁があるんだろう。好きでも別れる縁もあるんだと人から、諭された時は、悲しくなった。じゃあ、なんで出逢うんだろう?

今は、結果はあまり考えずに、会えたことを大切にしようかなと考える。誰とでも。いつどこでどうなるかはわからないけど、今こうして、会えたのだから、会っている間は楽しく過ごそう。辛い想い出でも、何もないよりかはいい。人の記憶の片隅にちょっとだけ、残ることもあるから。
 

 

2003年3月22日

これからの仕事

今日はムスコの保育園の卒園式だったので、ちょびっとだけ園に行ってきた。日本の卒園式はビッグイベントなので、父兄はみな正装、もちろん、お子ちゃまたちも正装。来年、何着せるべ?

ムスコのクラスメートのママたちに紹介してもらい、ちょっと緊張するぱんだ(汗)。上のムスコは、人並みはずれてデカイため、たいがい、すぐに顔と名前は覚えてもらえる。「ああ、あの大きな子のママね!」とか。

保育園だから、ママたちはみんな普段はお仕事しているので、あまり顔を合わせることは無いが、けっこう気さくな人が多い。「○○ちゃんのママが課長昇進試験に受かってよかったね〜♪」なーんて会話が交わされる。日本で、子どもを育てながら、働き続けるのは本当に大変。大変なことをしている同士の連帯感みたいなものも出てくる。

さて、私の母だが、最近、抵抗力がなくなっているらしく、すぐに風邪をひいたり、疲れやすくなるようだ。友人に頼んで送ってもらった漢方薬を飲ませてみる。こんなんで、これからの手術や治療に耐えられるんだろうか。

小さい子ども二人に、病気の親。でも、外には働きにいけない。ほとんど崖っぷちに立った状態で考えてみる。何か始めないとだめだ。英会話講師紹介センターに登録し、早速、仕事の依頼がきた。これなら、拘束時間が少なく、時給もわりといい。母と子どもの面倒見ながらでも、続けられる。これからの人生長いので、何か自立できる職業を持たないといけないと日々、実感する。ちょうど、家の近所に医療翻訳を請け負っている業者があり、履歴書を送ったところトライアル(試験みたいなもの)を受けることになった。仮に、受かったところですぐに仕事がじゃんじゃん来るわけではないが、何もしないよりはいい。

結局、自然に、できる仕事は限られてくる。今は、私の正念場。種をたくさん蒔いて、これからその中の一つでも芽が出せますように。

 

 

2003年3月24日

騙される人

世の中の人間を大雑把に、騙す人、騙される人、どちらでもない人に分けると、私は、多分、絶対、騙される人だろう。

騙される人間っていうのは、判断力とか状況を冷静に見る力とかに欠けてるんじゃないかと思う。騙されて可哀想だとは一概にいえないんじゃないか。よく考えてみれば、ちゃんと、現実を見て、冷静に判断すれば、おかしいと気づくはず。バカ正直に生きるのも、考えものである。

結局、世間知らずなだけなのか、自分をよくわかっていないのかも。自分の能力とか、適正とか、見極めるのは難しい。特に、女の人の場合、ぱっと見や、イメージで決めてしまうことが多いのか、あとから、ミスマッチだったと後悔することがある。結婚にしろ、仕事にしろ。

そこらへん、男の人はけっこう単純にもかかわらず、自分が好きなこと、向いていることをわかっているような気がする。子どもを見ていても、女の子はいろんなことに手を出すけど、男の子はやりたいことしかやらない。やりたくないことは、やってもうまくいかないのをわかっているのかな。

ミスマッチはよくあること。ミスマッチに気づいたら、早めに、軌道修正すればいいことなんだ。ミスマッチの責任は自分にあるはずだから、ミスマッチによる二次弊害に気をとられて、こだわって、時間や労力を使うより、一回戻ればいい。両手にいっぱい抱えているものを、全部、手離してしまうと、意外に、新しくて、もっといいものが手に入ることもあるから。
 

 

2003年3月25日

さくらさくら

今日は雨だった。でも、あまり寒くない。むしろ、暖かいくらいだった。いつの間にか、冬は終わってしまったのかしら。テレビでは、桜の開花予想が発表されていた。

さくら。日本のさくらを見るのは何年ぶりだろう。来年の桜を母は見られるのだろうか、などと余計な事を考えるから、あまり、浮かれた気分になれない。

少し思うところがあるので、今、勉強中。この年になって勉強しようと思わなかった、というか、したくなかった。できれば、楽な方へ行きたかったけど、無理らしいから、しょうがない。がんばる。こーんなに勉強しているのは、受験勉強以来なのだ。自分と子どもの生活と人生がかかってるから、逃げたくても逃げられない。やっと本気になった。

正直言って、仕事はなんでもよかったし、特に、何かがやりたいということはなかった。とりあえず、どこかにもぐりこんで、5時までオンナになろうと思っていた。が、思わぬ事態になり、全然予測もつかない方向へ状況が流れてしまったため、急遽、知恵を絞り、考えてみると、できそうなことは限られていた。ま、選択肢が少ない分、選ぶ手間ははぶけたってことだ。あはは。

んなわけで、朝から晩まで勉強ちう。。今日は、眠いのでここまで。。おやすみなさい。。

 

 

2003年3月26日

勧誘されてしまった

なんだか最近、道を歩いていると、よく話しかけられる。

先日、子どもを保育園に迎えに行ったあと、突然、道行くおばさんから話しかけられた。生命保険のおばちゃんだった。まだ仕事もしてないし、結構です、と断った。その後しばらくして、また、そのおばちゃんに会った。また、話しかけられたので、断ろうとすると、

「いえいえ、違うのよ。保険の勧誘じゃないのよ。一緒に仕事できないかなと思って。無理なくできるのよ。ちょっと考えてみない?」
「・・・」

たぶん、きっと、私は、営業とか何かの勧誘とか向いていないと思う。勧誘するより、されるタイプだもの。モノを売るより、買わされる方だから。

来月は、母の入院、手術がある。1ヶ月近くの入院になるんじゃないか。とりあえず、週に1回だけ、英会話講師のアルバイトを始めることにした。生徒は幼稚園児グループ。仕事するのは、香港から帰って以来だから、4ヶ月ぶりくらいになるのかな。指を折って数えてみる。

落ち着かないけど、時間だけ流れていく。何事もなく、終わってくれればいいのに。

 

2003年3月27日

仕事と子ども

日本での再就職は、思ったよりずっと大変。特に、結婚後、出産後の再就職は、子どもがいるというだけで嫌がられる。残業できない、子どもに何かあったらすぐに仕事に穴があくからだろうが、それにしても、女性の就労条件の悪さが目に付く。

子どもがいてもフルタイムで働いている人はもちろんいるが、結婚前からずっと続いている人がほとんど。それも、保育園、オット、実家、ベビーシッターなど使えるものはなんでも使って、それはそれでかなりしんどい。保育園に入れない人は、二重保育といって、幼稚園が終わったあと、そのままへ連れて行ってもらい、保育園で延長保育を受けるのだ。もちろん、幼稚園代、保育園代、倍かかる。それでも、一度辞めたら、再就職が難しいので、がんばるしかない。

再就職にあたって、やはり、必要なのは、働ける環境づくりとスキル。仕事中、子どもはどうするか、病気になったらどうするか、家事はどうするか、段取りできなければ働けない。これはかなり不利な条件なので、不利な条件を埋める技術が必要になってくる。年齢がいっている分、働きながら学ぶじゃ遅すぎるので、まずは、勉強。何か自分が好きな事があるなら一番いい。

香港を出る前に、お世話になった人から言われた事が3つある。一つは、「親の面倒をみること」二つ目は「子どもに入れ込まないこと。子どもには子どもの世界があり、巣立っていくものだから」。3つ目は、「勉強しろ」だった。なんでもいいから、自分の好きなことを勉強しなおして、自立できるような仕事を持ちなさいと言われた。

会社にもぐりこみ、5時までオンナになる予定だった私はちょっとびっくりした。これから先は長いんだから、一生続けられる仕事をしないといけないんだよ、とも言っていた。

はからずも、恩師の言われた通りの道を歩くことになった。これから先は長いから、今は、勉強するための時間、これから先の土台を作る時間だと思うことにしよう。

 

 

2003年3月28日

祈り

気がつけば、随分と暖かくなった。桜の蕾も膨らみ、来週辺りには、満開になるかもしれない。

今日は、友人のYさんと一緒に、東京郊外にある古刹に延命祈願と病気平癒のお参りに出かけた。綺麗なお寺で、暖かい日差しの中、線香の匂いがただよう境内をゆっくり歩く。

毎晩、勉強とか調べ物で夜遅くまで起きているせいか、寝不足気味。午前中早くから出かけたので、眠くて、日差しがまぶしい。

参拝の前に、境内で売られていたお守りや護符を購入した。その後、観音様を一つずつ拝んでいく。そして、延命ののぼりを立てたもらった。たまに、こうして、何かを一心にお祈りするのはいいかもしれない。偶像崇拝は意味がないと言われても、別に、偶像を崇めているわけでなく、自分の気持ちがそれで落ち着ければいいんじゃないか。

目的を果たした後は、境内のお店でそばを啜り、麦とろ飯を食べた。そういえば、去年の夏も、巡礼の時、こうして蕎麦を食べたっけ。あの時からたった半年しか経っていないのに、どうして、こんなに色んな事がいっぺんに起こるんだろう。

Yさんと話していると、私と共通の経験がやけに多いことに気づく。少し違うのは、私が今まさに経験していることを、Yさんはすでに通り過ぎてしまっていること。私を見ていると、以前の自分を見ているようだと、Yさんは言う。離婚したこと、前の結婚年数とか、母がガンに倒れた年齢、すべて同じ。ここ10年で、私は9人の身内を亡くしているが、これも同じだった。実家が没落したことまで、同じだ。あんまり符合するので、奇妙な感もあったが、似ているから、引かれたのもあるだろう。

Yさんは、今、穏やかな毎日を過ごしている。これでもか、これでもかというくらい、辛い事が長く続いた後の、平安。
「きっと、ぱんださんにも、そんな日がやってくるから」

でも、そんな日はまだまだ先のことだろうな。その前の、これでもか、これでもか、という悲惨な日々の方が気になる(汗)。そのうちに、肝が据わって、何も動じなくなるから大丈夫よ、とYさんはころころ笑う。

Yさんのお母さまは、2年の闘病の末、亡くなった。これだけは、符合しないでほしいものだ。

 

 

2003年3月29日

日記

毎日のように日記をつけ始めてから、まもなく10ヶ月になる。最初は心の整理のつもりで書き始めた。こうあってほしいのに、自分が思うように進んでくれない現実。受け入れたくないけど、受け入れなければいけない事実。書いていくことで、その時の辛いこととか、やりきれない想いとか、吐き出せるようになった。

日記を書き始めてから、本当に色々なことが次々と起こり、もしも将来、穏やかな日々を過ごせるのなら、こんなことを書き続ける日記は、さぞ、いい記念になるんだろう。

その時その時は、精一杯で、何の余裕もなく、できることをやるだけ。それでも、一日、一日過ごしているだけでも、多少は、前に進んでいるらしい。だって、半年前の日記を書いている自分より、ちょっと前進してるから。10ヶ月前の自分と、今の自分はまるで別人だから。

さまざまな感情の波に押し流されてきた。何もせずにだた、流されていくだけでもいいかもしれない。無理に結論づけなくても、結果はおのずとやってくるものだし、その結果がどうであれ、時期が来れば受け入れられることもある。

ちょうど1年前の私は風邪をひいていた。今の私はそこそこ元気。薬を飲まなければ眠れないようなこともなく、夜、布団に入って目が覚めると朝が来てる。あかるい街の灯りを眺めながら、長い夜を過ごすこともない。

 

 

2003年3月30日

春休み

今は、短い春休み。子ども達は、保育園に通っているので、春休みはたった一日しかない。働くお母さんのための保育園だから、お休みはちょっとだけ。土日をまぜて、3日の春休みだ。

今日は、動物園へ行こうと約束したので、休みの日にしては、めずらしく早起きして、お弁当を作り、夕食の下ごしらえをして出かける。少し、風が冷たいものの、本当にいいお天気。

私と子ども達3人で手をつないで、電車に乗る。電車に乗ってまもなく、日曜の朝からコップ酒を持ったじいさんが乗り込んできた。朝っぱらから、えらくご機嫌だ。ムスコ達に、
「ボクのお母さんもらってもいいか」
とか、訳のわからんことをぬかしやがる。このクソ爺と思ったが、逆キレされると困るので、適当にお茶を濁し、電車を降りる。目的地の駅のはずが・・・。間違えた(泣)。次の駅だった(号泣)。

しょうがないので、次の電車を待ち、もう一度、乗り込む。ともかく、目的地に着き、動物園を目指す。市内に古くからあるこの動物園は、無料なのだ。小さな動物園は、子ども達とゆっくり歩くと、2時間足らずでまわることができる。園内には、桜の木がたくさんあって、ちらほら咲きはじめた桜がきれい。いいお天気でよかった。

途中、お弁当を広げて食べる。
「ピクニックみたい!」
そう、ピクニック。お弁当をすべてたいらげ、動物の檻を一つ一つ見てまわった。園内に、古い電車が休憩所として置かれていて、それがやけに気に入ったムスコ達は、電車ごっこをして遊び始めた。

こんな状況でよく笑えると思えるくらい、楽しんできた。楽しめる時は楽しもう。ずっとひどい顔をして、暮らしてきた。笑う門には福来るというが、その逆もあるんじゃないかな。苦悶の顔をしていれば、それにふさわしい状況を集めるのかもしれない。ついないなら、ついてないで、今の自分を笑ってしまえ。笑っても、泣いても、明日が来るのは同じだから。

色んな事があった。親の借金、子どもの病気、弟の死、離婚、母の病気とかいろいろ。ひどいことがたくさん起こっても、背負いきれない荷は与えられていないと思うから、たぶん、私は重荷を背負えるから、こんな人生を与えられたのかもしれないと思う。

「これから来る穏やかで幸せな生活を、今から楽しみにしておいたら」
友人はこんなことを言う。そうね。今から、楽しみに待っていよう。

 

2003年3月31日

友人たち

私は、結婚運、男運(!)に恵まれていないかわりに、友達運だけは恵まれている気がする。私がボロボロになっても、何があっても、どうなっても、あなたの味方だから、と言ってくれる友人達の言葉や支えに、どんなに助けられたことか。

最近、友人に連絡をとっていないのだけど、みんなこの日記を読んで、私の安否が確認されているようだから、この場を借りて、お礼を言わせていただく。いつもありがとう。連絡する余裕がなくて、ごめんなさい。

これから先、どんなことがあるかわからないので、生命保険に加入することにした。正直言って、定職にも就いていない今、毎月の出費は痛いが、こんな状況の中、もし、私が病気になったり、死んでしまったら、ほんとに最悪になってしまう。何も準備していない時にかぎって、問題が発生する事が多いから、万が一に備えて、準備しておけば、仮に何もなくても、それは本当に「保険」だからそれでいい。

友人の友人が生命保険会社で営業をしているという。その人も、シングルマザーだから、色々相談に乗ってもらうといいよ、と友人が連絡を取ってくれた。

生命保険といっても色々ある。あれもこれも特典をつけると、当然、保険料が高くなる。とりあえず、今は、最低限の保険だけはかけておかないと。死んだ後の保険。ガンや大病をした時は、生前給付金といって、保険料の一部を、生前にもらえるようにする。あと、ちょっとした病気、入院の保障。

世の中、お金がすべてというわけではないけど、一部はお金(だと思う)。数千万残れば、子ども二人で分けても、結構入るな。

明日からもう4月。明日は、子ども達は入園式。母は、最期の検査の予約が入っている。これらの検査結果で、今後の治療方針が決まる。