2004年3月の日記

3月!

続・旅行記

またあの夢

ひなまつり

遠足

おたふくかぜ

おたふく闘病記

おたふく4日目

ふってわいた休日

穏やかな日々

おたふくその後

おたふく完治!

また発熱

じてんしゃのれた!

はじめてのおるすばん

体調不良・・

偶然と必然

歩く伝染病

春なのに

最後の日

卒園式

春休み

2004年3月1日

3月!

ひゃー。もう3月じゃんか!温泉から帰った後、ぼけぼけしながら会社に行くと、新旧入れ替わり人員がいたり、久しぶりに上司ドノが帰国していたり、ばたばたしていたら、朝ごはんも昼ごはんも机の上で仕事しながら食べるはめに。。とほほ。。

どうにか今の会社に勤めて半年ちょっと。だんだん腰も据わり、根性もすわり、ちょっとやそっとのことじゃビビらなくなったわ。見かけはお局(実は、まだ新入り)。日本の会社なので、なんだかのほほんとしている所があり、香港帰りの私にとっては気楽。でも、入れ替わりが激しい所を見ると、そう思っているのは私だけかもしれない。年とったら、南の島でのんびり暮らす事を夢見て今日もバタバタ。

 

2004年3月2日

続・旅行記

温泉旅行記の続き。日曜の朝は遅くまで寝ることを生きがいにしているので、温泉場でもそれを実行する。友人は早朝に起きて、プールで泳いでいたらしい。子ども達は朝っぱらから騒いでいた。

朝風呂ですっきりしてから、地元名物おサルを見に行く。おサルの劇は面白かった。でも、入場料高かった。それでも、満席。拍手喝さいであった。おサルおそるべし!

このあたりは冬場は滝も凍るほど冷えるのだが、日ごろの行いがいい私達の旅程中はずっとぽかぽかいい天気。これで寒かったら悲惨な旅になっていたに違いない。あっという間に楽しい旅が終わり、駅に向かう。駅弁を食べる事を楽しみにしていたので早速駅で弁当を購入しようとしたら
「売り切れです。駅構内には一つも残ってません」
と言われた。商売っけのない温泉場であった。近所に駅弁を売っている所もなく、コンビにには売れ残りの弁当が二つ残っているだけ。これならお菓子で飢えをしのいだ方がましだということになり、お菓子を買い込む。

帰りは、個室を取ったので子どもらはさっさと寝かせて、のんびりしようと思ったら、電車の個室に興奮した子ども達はずっと騒いでいた。隣の駅に着くと、ホームにいるおじさんが駅弁を手になにやら言っている。もしかして駅弁売り?!早速、買おうとすると、
「弁当はこの一個しかないんだよ」
とぬかしやがる。総勢5人いる私達に弁当一個だけ売ってどうするんだよっ!売れ残りを片付けようという魂胆かいっ!駅の売店といい、駅弁売りのおやじといい、どうもここらへんの人達は、弁当の売れ残りが出るのがいやらしい。子どもらが腹がへったとうるさいので、仕方なく、電車で売っている高くてまずい弁当を買って食べた。うまいものに縁のない旅だった(温泉はよかったけど)。

特急電車で2時間弱。東京に到着し、地下鉄にのりこんだ途端、睡魔に襲われ、子どもらと爆睡。目が覚めると終点だった。見事に眠りこけていたからか、目の前にいたガイジン達が笑っていた。ふんっ!一度、電車を乗り継ぎ、くたくたになって家にたどり着く。たった一泊二日の旅だったけど長く感じた。お友達ともゆっくりおしゃべりできたしね。

 

2004年3月2日

またあの夢

昨晩、友人と電話で話していて、なんだか嫌な気分になってしまった。なんとなく、彼女が私に対して抱いている嫌悪感みたいなものを感じた気がしたから。気がしただけで、実際は彼女は何も気にしていないのかもしれないけど。。

そのまま寝たら、また夢を見た。以前よく見ていた落ちて行く夢。今回は私が高いところから落ちて行くのではなくて、大事な子どもが落ちて行く夢。泣き叫んでも誰も聞いてくれず、子どもは高いところから水の中に落とされてしまう。非難しても笑われ、あきれられ。でも、子どもは助かっていた。ああ、よかったと子どもを抱きしめて夢は終わった。

目が覚めたら、まだ真夜中。嫌な夢を見てしまった。目覚めが悪いまま出勤。こんな時にかぎって忙しい。おまけに、人のミスを私のせいにされてなんだかやる気なくすなあ。同僚の子に話したら、
「私達は打たれて、もまれながら、そこから教訓とスキルを学んで、次へのステップアップにするんだよ」

あはは。そうだよね。社員と違って、こちらはスキルと経験でお金をもらっているんだから、お金もらって勉強していると思えばいいのだ。そんな彼女は夏に海外転職する事が決まったらしい。ガラパコス諸島へ行くらしい。がんばれー。

さて、明日からまた頑張ろう。

 

2004年3月3日

ひなまつり

今日は楽しい雛祭り。暖かくなったのもつかの間、また寒い日に舞い戻り。明日は雪が降るらしい。せっかくの遠足なのに。

3月に入り、新しい人が入ったり、組織再編があったり、月初めだったりで、危機的状況な私の机の上。朝ごはんも昼ごはんも机の上で食べた月曜日に比べれば多少はましかもしれない。今日の夕方あたりから、少しずつ暗闇に光明が差してきた!今週末は母がお迎えに行ってくれるので、たまった仕事を片付けよう。・・でも、終バスに乗り遅れないようにがんばろ(先週は、終バスだった)。

明日は遠足なので、保育園の帰りにスーパーに寄って帰った。最近は、そこいらのスーパーでも真夜中まで開いているので便利だ。コンビニじゃ食料品買い込めないもんね。明日の遠足のお弁当とか色々買い込み、外に出たら雪が降りそうな冷え込み。先週、温泉へ行ってから冷え性がよくなったのか、前ほど寒く感じない。髪もさらさら、肌もつるつる。たまには栄養と休息が必要だったと身にしみて感じたのだった。

明日は遠足。いいお天気でありますように。

 

2004年3月4日

遠足

昨晩、スーパーで遠足の食材なんかを買っていたら、
「明日は雪ですので、明日のお買い物も今日済ませるようにして下さい」
とかいう店内放送が流れていた。まじー、明日は遠足なのに。外に出ると、たしかに雪が降りそうな気配。ムスコちゃんたちが
「神様にお祈りしたから大丈夫」
と言っていたら、翌朝、本当に晴れたからびっくりした。日本の天気予報はよく当たると思うけど、ムスコたん達が遠足に行っている時間だけお天気で、保育園に戻った頃に雨が振り出した。本当に神様がお別れ遠足を楽しみにしている子ども達のためにお日様を出してくれたのかと思った。

ここ最近、職場は忙しい。出張中の上司ドノの机の上が書類の山になっていたので整理していると
「ぱんださんは本当によく働くよね。やること早いし、きちっとしてるし」
多少、誤解している面はあるけど、たまに誉められると嬉しいので日記に書いちゃおう。仕事始めてたった半年なのに周囲はやたら信頼してくれているようなのだ。仕事はやった分だけ評価されるからいいかもしれない(たいした仕事じゃないけどさ)。誰も見てなくても、自分のためにやっていると思えばそれもいいけど、それなりに結果が出ればもうちょっと頑張ろうかなと思えるし。やはり、私は仕事向きの人間なのかも。おうちの中にずっといると余計な事を考えたり、自分の存在意義とか考え出したりしてしまう。自分で働いて生活する今のスタイルは、けっこう私にあっているのかしら。

今朝は五時半起きで弁当をこしらえたので、そろそろ力つきてきた。早く寝よ。

 

2004年3月7日

おたふくかぜ

金曜の夜、仕事をしていたら関節が痛いような気がした。翌日は保育園の大掃除だから早く寝なきゃと布団に入る。

翌朝、何気なく耳の下に手を触れるとふくらんでいる。腫れている部分をそっと指でなぞってみるとそこは耳下腺?おたふく。。嫌な予感がしながら病院へ走ると、やはりおたふく風邪の疑いありということだった。ただ、今の段階では単なる耳下腺炎かおたふく風邪かわからないと言われ、痛み止めと抗生物質をもらう。

下のムスコのクラスにおたふくの子がいた。うちのムスコ二人とも香港で水をもらさぬ予防接種を受けてきているのでムスコ達は元気。代わりに私が移ったと言うわけ。

完全におたふくだとわかったのは昨晩、熱は上昇し続け、40℃まで上がり、いまだかつてないほどの悪寒と関節痛で眠れない。何枚服を着こんでも寒くて、歯ががちがちいう。関節の痛みは横になることもできないくらい。

よりによってこんな時におたふくなんて。。卒園式を控えている子ども達に移すわけにはいかないので、私が治るまで保育園は休ませなければいけない。会社も休まなければいけない。新しく入ったばかりの子は大丈夫なんだろうか。

日本の救急外来は、専門の病気は診てくれない。おたふくは耳鼻科ですからとさっき、総合病院から断わられてしまった。。はあ、もうちょっと寝よう。

 

2004年3月8日

おたふく闘病記

午前0時。眠れなくなってしまった。一生に一度しか罹らないと言うおたふく風邪を、しかも、30過ぎて罹っためずらしい事態なのでおたふく闘病記を書いちゃおう。

**第一日目**
朝、起きたら、右下の耳下腺が腫れている。病院へ行くとおたふくの疑いありと言われたが、大人はめったに罹らないので医者は断言しなかった。その後、37度台の微熱が続く。おたふく風邪と確信したのはその日の夜更けであった。

突然の悪寒と全身の関節痛、吐き気、頭痛に襲われる。悪寒は服を何枚重ねても布団を何枚着ても、寒くて歯ががちがちいう。関節痛は、横になっていることもできないくらい酷く、布団の上で痛みと寒さをこらえる為にうずくまる。なんとか力を振りしぼり、市販の解熱・鎮痛剤を飲むといくらかましになり、少し眠る事ができた。この時の体温、40度。

**第二日目**
昨晩は痛みのあまりほとんど眠れなかった。薬を飲む為にヨーグルトと蒸しパンを少し食べると、耳下腺が猛烈に痛み出した。気休めの抗生剤と鎮痛剤を飲む。この日は、左側の耳下腺も腫れてきた。熱は39度台。解熱剤を飲むと、38度台に下がり、少し楽になる。昨晩、あまり眠れなかったせいか、解熱剤を飲んで楽になったらうとうとする生活。薬は、食後と書いてあるのでとりあえずうどんとかおじやを食べるが、食べるたびに拷問のような痛みが耳下腺に走る。

**第3日目**
月曜日だが、仕事どころじゃなく、保育園どころじゃなく、病院へ出かける。保育園へお休みの連絡をいれ、職場の上司へメールで病気休暇依頼を出し、同僚には電話で連絡する。念のために、連絡先をメールに書いておいたがさすがに連絡してこない(そりゃそうだよね)。

異様に膨らんだ顔をショールで隠し、朝一番で病院へ行ったらすでに待合室は満員だった。伝染病患者なので、廊下の片隅に隔離され順番を待つ。たくさん待っていても、診察は1分なのですぐに私の番になる。医者は私の顔を見て
「かなり腫れちゃいましたね。完全におたふくですね」
と言った。喉も痛くなったので、別の抗生剤と解熱鎮痛剤をもらった。

出かけたついでに前から欲しかったCDと本を購入することにした。開店前の駅前商店街なら人通りも少ないだろう、と思い、顔を半分覆った不気味なオンナが足早に駆け抜ける。お目当ての直木賞受賞作品とQueenのベストCDを買えた。わーい!

伝染病患者は急いで自宅に戻り、3日ぶりにお風呂に入った。この日は熱が37度台に落ち着き、少し気分がいい。お風呂に入って、本を読んだりCDを聞いたり、まとわりついてくる子どもの話し相手になっていたら、また熱が上がってきた。薬。。薬がきれたのかもしれない。

予防注射を打ってぴんぴんして、保育園休みを満喫しているムスコ達が鼻水をたらし始めた。おたふくは移らなくても、なにかやばい菌は移るだろう。休んだついでに明日は、息子たちを病院に連れて行こう。私もそろそろ寝よ。
 

 

2004年3月9日

おたふく4日目

やっと熱が平熱になった。しかし、耳下腺の痛みは薬が切れると始まる。物を食べる時は拷問のよう。

ゆっくり寝ている間もなく、仕事関係の連絡が相次ぐ。今週の英語の授業は出なければいけないかもしれない。腫れはそのときまでに引くかな。誰にも移さなきゃいいけど。今月で英語の講師を辞任するので、引継ぎの資料を作ったり、電話連絡を入れる。なんとなく、衣装棚の整理までしてしまった。何してるんだか。。でも、綺麗になったわ。熱も引いたし、でも顔が。。異様な面相の母と共に過ごして楽しそうなのは、保育園をお休みして一緒に過ごしているムスコちゃんたちだけ。

平日の昼間に家にいるのは本当に久しぶり。夕暮れ時の住宅街の喧騒が好きなのだ。子ども達のはしゃぐ声が聞こえたり、ピアノの音が聞こえたり。暖かな西日が差す部屋で、そんな声を聞いていると気持ちよくて眠ってしまいそう。毎日あわただしくて、ゆっくり子どもの顔を見る暇もなかった。思いがけず休日になった今週。これは神様がくれた休日だと思う事にしよう。

 

2004年3月10日

ふってわいた休日

おたふく風邪は、他人には哀愁と笑いを誘う病気らしい。
「えっ、おたふく?!(ぷ)」

だいたいこんな感じの反応なのだ。今日は病院へムスコ連れで行く。週末に仕事に戻ってもいいかと医師に尋ねると
温厚で紳士的な医師は、言葉を選びながらこういった。
「・・いつもと違うあなたの顔を見て、周囲はどう思うか。。」
改めて、異形の面相の自分を思い知るのだった。結局、職場復帰は来週からにし、週末の英語の授業はやはり欠席することにした。職場に電話をすると、「おたふくのぱんださん」への動揺を隠し切れないようだった。・・みんなおたふくの抗体がなかった。上司ドノが出席する予定の会食の案内状と地図を渡してもらうよう同僚にお願いする。

ところで今日は下のムスコの5歳の誕生日。病院の後、顔をショールで慎重に隠し、バースデイケーキを買いに行く。久しぶりに平日の昼間にムスコちゃんたちと3人手をつないで外を歩いた。あたたかくていい気持ち。どこからか桜の花びらが飛んできた。今年の桜は早いだろう。2人とも保育園に行かずにずっと私と過ごしている。いつも朝から夜まで保育園生活だから、こうして私と家でのんびり過ごすのもいいかな。

ムスコ達が鼻水をたらし始めたと思ったら、母が発熱。おたふくの抗体はあるものの、手術後、抵抗力の落ちている母にはきつい環境。来週の保育園のお迎えを友人に頼んだ。顔は腫れているものの元気なので、押入れの整理をしたり、小学校入学準備をしたりしながら一日を過ごす。明日は布団を干そう。

 

2004年3月11日

穏やかな日々

なぜか突然、伝染病になってしまった。熱も下がり、気分はいいものの、依然、顔はおたふくのままである。会社も英語のバイトもすべてキャンセルする。万が一、人に移してしまったことを考えると、大事をとってじっとしている方が賢明だと思う。

朝起きて、掃除をして、部屋の模様替えをした。お昼は、昨晩こしらえておいたビーフシチューを子ども達と食べた。平日の昼下がり、洗濯物をたたむ。なんだか主婦みたい。自分がいかに余裕のない生活を送っていたかわかった気がした。暖かい太陽の光、何もしないで過ごす時間、子ども達の笑い声。そんなことからすっかり遠ざかっていた。少し突っ走りすぎたかな、と考える。焦りすぎて、自分に余裕がなくなっていたと思う。シングルマザー生活も1年以上過ぎた。一人で頑張らないと、と肩に力が入りすぎたかもしれない。これから先は長いから、少し休憩してまたぼちぼちいこう。

子ども達は家でずっと過ごす事などめったにないので、飽きもせずに兄弟で一日中遊んでいる。
「マミィちゃんが元気になったら、ほいくえん行く」
家で子どもとゆっくり過ごせる事などめったにないので、病気のときもずっと一緒にいた。インターネットで、ひらがなかるたを買ったので一緒に遊ぶ。前から読みたかった本を読む。聞きたかった音楽を聴く。一日は長かった。

これは神様がくれた休日。

 

2004年3月12日

おたふくその後

おたふく顔からただの顔がむくんだ人くらいまで腫れが収まってきた。昨日まで、食べると耳下腺が痛んだが、今日はそれほどでもない。復活は来週だな。

それにしても思わぬ時に、不測の事態は起こるのだった。考えてみたら、3月は私にとって病気と縁がある月で、去年は母のガンが発覚したのは3月。その前の年は、香港でインフルエンザに罹った。子宮内膜症で苦しんだのも3月だった。そして、今年はおたふく。私は倒れて療養すると、その後長持ちするので、しばらく大丈夫ってことか(わかんないけど)。それにしても、健康体であることの大事さがよーくわかったのだった。無理をして倒れたら元も子もないし。仕事もプライベートもほどほどにして、無理なら断る事を学ばねば。。

悪い事じゃなくて、いいこと考えよう。病気になったけど、食べられなかったのでちょっと痩せた(まだ、顔は膨らんでるけど)。真冬の服は、クリーニングに出して、春先の服を出して気分一新しよう。あと、煙草。ストレスとともに増え続けていたが、おたふくになってからあまり吸いたくない。止めちゃおうかな。お酒もほとんど呑まなくなった。呑めなくなった。体が受け付けなくなってきているらしく、呑むと気分が悪くなって吐いたり、翌日、苦しくなってきた。体に悪いものはほどほどにして、自分にとっていいことをしましょう!

こうつらつら書いていると、「健康への勧め」のよう。・・っていうか、中年への進め?

 

2004年3月13日

おたふく完治!

おたふく完治!とはいっても、顔はいつもよりデカイ。今日、医師からようやく普通の生活を送ってもいいと許可が出た。下のムスコが咳をしていたので、ついでに診察に連れて行ったら、久しぶりのお散歩なので、スキップしたり仔犬のようにはしゃいでいた。たまにしか家でゆっくりしていられないとはいえ、1週間ずっと家の中にこもっていたから、そろそろ飽きてきた頃だろうな。明日は、上のムスコの自転車の補助輪を取る練習しよう。

職場の上司からメールが届いていた。先週1週間はそりゃもう忙しかったそうだ。来週は覚悟を決めて、残業覚悟で仕事しますー。新しい人がまたもや入り、この間入った人はすでに解雇が決まったそう。私は子どもがいてこその仕事だと思っているので、あまり仕事に執着はなく、淡々とこなしている。好きな仕事で生活の糧を得られればそれに越した事はないけど、好きだと見えなくなってしまう事が多いので(私の場合)、多少、距離を置いてできる仕事の方が冷静に対処できるのではないかな、と思う。仕事への情熱がありすぎると、仕事の質を下げてしまう事があるような気がする。私がやっている仕事は、誰でもそこそここなせると思うけど、感情が入らないのでその点、気が楽。

久しぶりに私と四六時中一緒にいるムスコ達が甘えてくる。赤ちゃんのように抱っこをせがんだり、体を摺り寄せてきたり。私も動物のお母さんみたいに、鼻と鼻をくっつけてご挨拶したり、頬を摺り寄せたりする。明日は、近所の公園へ行こうね。

 

2004年3月14日

また発熱

おたふくが治ったとわかり、たりらりら〜ん♪と美容院へ行き、髪をきれいにしてもらい、午後はムスコのサッカーへ。寒空の下に1時間半立っていたのがいけなかったのか、久しぶりのお外でバイキンをもらってきたのかまたもや発熱。今回は、ウイルス性のものではなく、おそらく菌による発熱と思われ。。

ウイルスの時と違って、お熱が出た時の感じがぽあーっとしていて、暖かくして布団に入ると気持ちいい。飲みかけの抗生物質、解熱剤、ビタミン剤を飲み、大量のポカリをごくごく飲む。そったら、ようやく落ち着いてきた。明日、もう一度病院行っておこうかな。自転車の練習は中止。すまん。。

それにしてもよわよわだわ。よっぽど抵抗力がないのか、疲れていたのか。一瞬、死んでしまうのかしらと弱気に考えたが、こんなことで死んでられるかっつうの!

来週は毎晩残業覚悟で手配した。そしたら、上司その1からメールが届く。
「お子さんの世話もあるし、心細かったでしょう。無理して頑張らなくてもいいですよ」
というありがたいおじさんからの返事であった。

上のムスコの保育園生活もあと2週間。働く親として、本当に心強かった。保育園での生活に関しては、まったく心配する必要はなかったから。小学校に入ったら、どんな感じになるんだろう?

 

2004年3月14日

じてんしゃのれた!

起きたらまた微熱。家にあった抗生剤と解熱剤、ビタミン剤を飲んで起き上がる。駅の側に、土日も診てくれる医者がいるらしいので行ってみる事にした。早速、その病院のHPを見ると、医者じゃなくてダイバーの写真が載せられていた。スキューバ・ダイビング。ダイバーの病院は予約制らしい。午後に予約を取り、散歩がてらムスコの自転車の補助輪をはずしに自転車やさんに出かける。

補助輪なしの自転車は心細げだった。必死に足でこいだり、引っ張ったりしながら補助輪なしの自転車と格闘しているムスコ。乗れなくても、自転車を引っ張っているだけでもバランスを取る練習になると思い、好きなようにさせてみる。

さて、日曜の耳鼻科。ダイバーの医者。最近、私が知り合う人にはいくつかのキーワードがあり、その一つが沖縄。どうやらこの医者も沖縄でダイビングにはまっているらしい。土日開業の理由は、平日にもぐりに行っているのでは?ダイバーの医者は草履を履いていた。しかも、ワラで編んだ草履。ワラ草履だよ。裸足にワラ草履を履いた医者は、茶髪で強烈なインパクトであった。偏見かもしれないが、耳鼻科の医者は体育会系、強烈な人が多いような・・。

ワラ草履の耳鼻科医は、ウイルスには薬は効かんから薬はいらないと言った。抗生剤の弊害とか彼なりの病気に対する見識を聞きもしないのに延々と話す。せっかく、来たから気休めでもいいから何か薬下さい、と言ったら
「じゃあ、気休めに抗炎症剤あげる」

けっこう好きかもしれない、ワラ草履の医者。診察が終わったあと、自転車で公園に行こうと思い、ムスコの自転車のりの手伝いをする。すぐに乗れそうな気配。ハンドルちゃんと握って、いっぱいこいでごらん。思いっきりペダルを漕ぐムスコの後姿がどんどん遠くなる。乗れた!乗れた!!乗れた!!!

誇らしげなムスコの顔。嬉しくて嬉しくて飛び上がりたい気分。
「じてんしゃのれた!」
そう、じてんしゃのれた。乗れるようになった!

 

2004年3月15日

はじめてのおるすばん

久しぶりに保育園に行ったら
「あっ、おたふくママだ!」
とムスコのクラスメートから指をさされた。はい、私がおたふくママです。

職場へ行くと、同僚達から、
「あ、おたふくのぱんださん!」
と言われ、上司からは
「顔がふくらんでる!」
とか
「ぱんださんもう死んじゃうかと思った。もう会えないかと・・」
とか不吉な事まで言われてしまった。死んでたまるかっつうの!

久々の仕事なので、溜まった仕事を片付けようと思い、お迎えを友人に頼んだ。そして、ムスコに鍵を持たせ、おばあちゃん達が帰ってくるまで2時間ばかりお留守番させることにした。はじめてのおるすばん。頼んだのはいいものの、なんだか心配になり、友人に電話を入れ、家に入るのを見届けてもらった。その後、自宅に電話をすると
「ちゃんとご飯食べた。テレビ見てる」
と上のムスコが言う。下のムスコは何か訳のわからんことを喋り捲っている。大丈夫かな。

家に着くと、上のムスコが涙を浮かべてしがみついてきた。お留守番の間、寂しかったらしい。下のムスコはけろっとしていたが、お兄ちゃんの方は弟の前で泣くに泣けず、今頃悲しくなっちゃったらしい。疲れたのか早く眠ってしまった。5歳と6歳の兄弟だけで過ごす2時間はどんなに長かっただろう。これから小学校に入る上のムスコ。お留守番の回数は増えると思う。大丈夫かな。。

 

2004年3月21日

体調不良・・

金曜日あたりから微熱っぽい感じ。香港からお友達が来ているんだけど、微熱に加え、胃がむかむかする。おたふく病み上がり明けの仕事、残業はやはり無理があったか。。せっかくのお誘いを断わり、まっすぐ家に帰り、薬を飲んで早めに寝る事にした。

翌朝、英語の最後の授業。休む事は無理だったので、薬を飲んで授業に出かける。そんなときに限って、朝から雨が降る寒いお天気。とぼとぼ現地に向かう。なんとか1年の契約を終了した。考えてみたら、授業を引き受けてから体調が悪かったり、精神的に不安定だったり、忙しかったりでろくでもない精神状態でよく続いたなと思う。体力には自信があったほうだけど、無理は続かないとよくわかった。今年は無理な事はできるだけ引き受けずに、自分のペースで続けられる事をしようと誓うのだった。

ただ、子供たちの成長ぶりは目を見張るものがある。ほとんど英語に接していない子供たちが教えた事はほぼ身についている。このまま少しずつでも続けていければきっと身になるはず。少しずつでも続ける事が大切だと思うから。

卒園まであと1週間。同じクラスの働くママ達と仲良くなれたことは本当に良かった。ママ達から勇気付けられたことが多かった。働きにくい環境の中で、仕事を続け、子供がいい環境で過ごせるように知恵をしぼり、愛情を注ぎ続ける事は本当に大変だと思う。文句を言うより、諦めるより、無理な中でできることを少しでも見つけて、自分の希望に近い形で実現していければいいんだけど。

暖かい冬なので桜の季節は早くなるかもしれない。でも、子供たちの門出のはなむけに少し待って欲しいな。

 

 

2004年3月21日

偶然と必然

日曜日は一日中寝たきりで使いものにならない私だった。体がだるくて起き上がれない。喉も痛いし、肩も痛いし、頭も痛い。熱は微熱程度なので、単に疲れているだけだと思う。役立たずな体の時は、おとなしく寝ていることにした。

先日、息子達が通う教会で結婚式があったらしい。元牧師さんであり、保育園の元園長先生でもあった息子さんの結婚式。小さな教会の結婚式。私が働く会社の社長秘書H女史は結婚し、社長秘書から別の部へ異動するらしい。彼女とは、去年のクリスマスイブ礼拝で、教会でばったり会って驚いた。街の小さな教会で知り合いに会ったので驚いてしまった。さらに驚くべきことに、元園長先生の息子さんのお相手が、社長秘書H女史だったのだ。

偶然とはいえ、二人とも知っている人だったのでびっくり。こういう縁は偶然なのか、必然なのか。ともあれ、二人の門出を祝福したい。彼女に赤ちゃんが生まれたら、ムスコちゃんたちが通う保育園に入るのかしら。

春先は体調を崩す事が多い。疲れてしまったのか、一人になりたいと思う事が多い。早く暖かくなればいいのに。

 

2004年3月23日

歩く伝染病

おたふくが治っても、体調が悪いこの頃。仕事中、目がすっきりしないと思ったら、ひどい目やにが出てきた。目がしょぼしょぼして、真っ赤になっていた。上のムスコのまぶたの上にもしこりがあるので、母子3人で眼科へ出かけた。

上のムスコは、下のムスコ同様霰粒腫だった。そして、私は結膜炎。まさに歩く伝染病といった感じ。霰粒腫はしつこいのでまた眼科通いが続くであろう。。私の結膜炎は、抗生物質入りの目薬をもらう。喉も痛いので、飲み薬ももらった。今年に入ってからの病院通い。来年は、必ず高額医療費助成を受けようと心に誓うのだった。ひーん!

それにしても、疲れが一気に出てきたと言う感じで、最近のよわよわぶりは目に余るものがある。おたふく風邪、結膜炎、アレルギー性鼻炎。鼻はずるずる、目はしょぼしょぼ、それに加えて、顔が台形だったのだよ。顔はやっと元に戻った。それだけでもえがったわ(涙目)。

なんでも頑張りすぎないで、適当にやりましょうね〜。・・と自分に言い聞かせる。
 

 

2004年3月24日

春なのに

春なのに、もう春が来たはずなのに、外は氷雨が降り、冬に逆戻りしたよう。歩く伝染病患者は、あまり色んな人と接触しないように気を配りながら、目薬差しながら、抗生物質漬けになりながら、日々を送るのだった。

今週末はいよいよ卒園式。この間まで赤ちゃんだったあの子がもう小学生になるのか。いい保育園だったのに、もう離れて小学校へ行っちゃうのか。。ずっとこのままでいてくれたらいいのに、とたまに思う。すれ違う赤ちゃん連れの母子に目が行ってしまう。あんな小さな頃もあったのに、あの頃は余裕がなくて、可愛いと感じる間もなかった。なんだか寂しいな。

卒園式の日は、お友達からいただいたスーツを着せていこう。そろそろ準備しなきゃいけない。卒園式。居心地のいい時間と空間から離れてしまうのか。妙に切なくなったり、寂しくなったり。

春なのに、なんだかさみしい。

 

2004年3月26日

最後の日

3人で手をつないで毎朝通った保育園。遠くて、半べそかきながら、寒い日も暑い日も雨の日も毎日通った。春が来て、夏が来て、秋が来て、冬が来て、また春がやってくる。そして、上のムスコは来月から小学校に入学する。今日で、保育園とおわかれ。最後の日、いつものように3人で朝早くおきて、手をつないで行った。いつものように門をくぐり、先生達に朝の挨拶をする。担任の先生はすでに泣き顔になっている。窓の外を見ると、桜の蕾がふくらんで今にも咲きそうな気配。明日は、卒園式。

あんなに待ちわびた小学校入学なのに、なぜだか気持ちは沈みがちで、3人で毎朝通い続けた日を思い出すたびに泣けてきそうになる。来週からは下のムスコと二人で同じ道を行く。

仕事を終えて、お迎えに行く。着替えの袋や色々荷物を大きなカバンに詰め込んだ。カバンに詰め込むたびに、色々なことが思い出されて、また泣きそうになる。明日は教会で卒園式が行われる。お友達が用意してくれたスーツを着せて行こう。

慌しく園を後にして、子供の歯医者へ向かう。ぼんやりしていたから、切符を間違えて改札機に入れてしまった。慌てて買いなおしに行ってもう一度、改札をくぐるとムスコ達がいない!あたりを見回してもいない。もしかして・・と思い、ホームへ行くと、泣き叫ぶ我がムスコ二人。。ごめんよ〜。大きくなったとはいえ、まだまだコドモ。上のムスコは、歯医者で図々しくも、診察台の上で熟睡し、知人の歯医者から絶句された。この子は大物だねえ、と言われ、母、赤面。。

3人で夕ご飯を食べて帰宅。もう9時半。明日は卒園式だから早く寝よう。ここ最近、ずっと肌寒くて雨ばかりだけど、明日はきっと晴れるに違いない。ムスコちゃん達が神様にお祈りしていたから。あったかくていいお天気になるはず。

 

2004年3月28日

卒園式

桜の花が咲く暖かい日に卒園式が行われた。上のムスコが言うとおり、神様へのお祈りが届いたのか暖かくて気持ちの良いお天気だった。

子供たちにとっては、自宅で過ごすよりも保育園で過ごす時間の方がずっと長い。第二の家みたいなもの。仲良しのお友達や大好きな先生達と離れて、新しい学校、新しい環境へ飛び込んでいかなければならない。
「もう3人でいっしょに保育園に行けないのか・・」
卒園式の前日、保育園へ行く道すがらムスコがつぶやく。泣きながら保育園へ走って行くムスコ。それを聞いて泣いてしまう私。古い保育園の庭の桜が咲き始めていた。

お友達が晴れの日の服と靴を用意してくれた。新しいスーツと靴を履き、教会へと向かう。随分、大きくなったもんだ。子供たちが先生に導かれて、教会の真ん中を歩いてくる。いつも見慣れた子供たちが神妙な顔をしている。その姿を見ただけで泣けてくる。お祈りをし、聖書の唱え、賛美歌を歌う子ども達を見ているだけで泣けてくる。なんて大きくなったんだろう。一人ずつ、卒業証書が渡される。最後に、園長先生でもあり、牧師でもある先生からお話がった。

「今日の卒園は、子供たちだけでなく、親御さんたちにもおめでとうをいいたいのです。毎朝、髪を振り乱し、慌しく保育園を後に出勤し、帰りは息を切らしてお迎えに来る親御さんたちを私達は毎日見ていたから。必死で働き、子供を育てる親御さんを見ていたから。みなさんにおめでとうと言いたいのです」

ここで、親たち号泣。。大人は大人の事情で働いているが、子ども達は子供たちなりに必死で生きているのだ。もまれながら強くなって大きくなるのだ。この保育園ではひらがなもカタカナもお勉強は一切しない。でも、先生達が伝えたいのは、これから長い人生を生き抜いて行くための強さと優しさ。これから新しい社会へ出て、辛い事、悲しい事、我慢しなきゃいけないことがたくさん出てくると思う。でも、その中で生き抜いて欲しいと思う。だから、強くなって。人からの助けがあってこそ生きていけるのだから、優しくあって欲しいと思う。

6歳のムスコは卒園式の最中、泣いていた。香港から日本に帰ってきた1年前の冬。香港の先生が持たせてくれたお友達の声がたくさん入ったカセットテープを毎晩聴いて、こっそり泣いていたムスコ。日本のお友達ができないとしょんぼりしていたムスコが、この保育園に来てたくさんのお友達ができた。私に気遣って頑張らなければいけないことがたくさんあったと思う。でも、大好きな保育園があったから乗り越えてこれたと信じてる。

この一年間で本当に大きく立派に成長したね。卒園おめでとう!

 

2004年3月31日

春休み

涙の卒園式が終わり、お別れ会があり、謝恩会があり、二次会があり、長い一日が終わった。ムスコたちは短い春休みに入った。香港からの友人が、泊りがけでムスコ達を預かってくれる事になり、私も短いお休み。

「お泊り!」
と嬉しそうにぴょんぴょん跳ね回るムスコ二人を友人宅に連れて行く。ケンカをしないで、いい子にしているんだよと言い聞かせたけど大丈夫かな。お泊りの間は、お友達と一緒に動物園に連れて行ってもらったり、一緒にお風呂に入ったり、楽しい時間だったようだ。楽しいときもあっという間に過ぎ、かえりたくない、というムスコを迎えに行った。

職場を出た時、雨が降っていた。子供の小さな傘を持って友人宅へ向かう。どうやらいい子にしていたようだ。親がいないといい子なんだよね。が、帰る間際、上のムスコが些細な事で泣き出したら止まらなくなった。普段なら絶対に泣かないようなことで、泣き続けている。駅に向かう道すがら、上のムスコは疲れた、遠いなどぐずぐず言い、ようやく泣き止んだと思ったら、下のムスコが雨に濡れたと大声で泣き始めた。3人でどしゃぶりの夜道を歩き、駅に着く頃は、阿鼻叫喚のようであった。よそのお宅で我慢していたことも多少はあったのか、親の顔を見たら泣いてみたくなったのか。私は、子どもが自分の感情を親にぶつけられるのはいいことだと思っているので、甘えたい時は思いっきり甘えさせることにしている。どんな時も自分を受け入れてくれる人の存在は、きっと大きくなっても子供の支えになったり、自信になったりすると思うので。

帰りの電車の中、疲れたのか二人ともぐーぐー寝てしまった。何とか、家にたどりつく。ムスコ達のたどたどしい話を聞くと、野菜もちゃんと食べて、いい子にしていたと言う。ひらがなの練習もして、自転車の上手になったと言う。親から離れた時間は貴重な時間。いい刺激になったことだろう。

4月から、上のムスコは学童保育に通う。下のムスコは年長さんになる。生活も落ち着いてきたので、子供と一緒にいる時間を増やしたいな。少し肩の力を抜いて、子供と接したいな。感情や行き当たりばったりで物事を決めないように、冷静に現実を見て歩いて行きたいな。

桜は満開。春が来た。