2003年5月の日記

 

母子家庭

運とタイミング

ガンのステージ

退院

連休最後

初めての職安

私が死んだら

再会

春眠

ヘアースタイル

母娘の関係

その後

家庭訪問

ボディコンバットふたたび

子どもと英語

雨の月曜日

シングルマザー達

仕事探し

めまい

自分の値段

遊園地に行ってきた

就職活動記録

私は何をしたいんだろう

晴れた日に

遠足

雨の季節

2003年5月1日

母子家庭

今日からもう5月。ほんとあっという間に毎日が過ぎていく。帰国してから、早5ヶ月。離婚が成立してから3ヶ月、母が入院してからもうすぐ1ヶ月になるのか。

おかげさまで、連休明けには退院できることになりました。ご心配してくださったたくさんの方々ありがとうございます(ぺこり)。

日本での生活も随分慣れてきた。先日、保育園へムスコ達のお迎えに行き、バスを待っていた時のこと(帰りはバスに乗ることにした)。同じくバスを待っていたおじさんが下のムスコに話しかけてきた。4歳になったばかりのこのチビも、最近、随分、会話が、成り立つようになってきた。

「ボクいくつ?」
「よんしゃいです」

この時、指を四本出すんだけど、なかなか四本にならないのがおかしい。ついこの間までうっかり「さんしゃいです」と答えたいたのに、最近は、ちゃんと「よんしゃい」と言えるようになった。えらいぞー。

「そう、随分、遅くまで幼稚園行ってるんだねえ」
ここで、おしゃべりの上のムスコが、「おひるねして、おやつ食べるから」とか色々説明し始めた。保育園行ってるんです、と私が横から補足説明をする。

「へえ、こんなに遅くまで預かってくれるの。保育園二人も行かせていたら高いでしょう」
いえいえ、うちは母子家庭ですから。最近、余計なことは言わず、必要なことだけ最小限答えることを鉄則にしているので、この説明で、だいたいの人は黙ってくれる。

ムスコ達が年子なのを知ってか、「今も大変そうだけど、小さい時はもっと大変だったんじゃない」と言われる。ええ、まあ、大変は大変なんですが、これでもなんとかなるんです。

さらに、上のムスコが、「ボクたち香港から来たの」などと言い出すが、幸いにも、おじさんは気づかなかった。このおしゃべりムスコめ。。

このムスコ達も、随分、たくましくなり、徒歩40分かかる保育園にも文句も言わず、通っている。たしかにちいさい子ども二人いることで、行動は制約されるし、手もかかるし、お金もかかる。でも、この子達がいるからこそ、毎日元気で過ごせるの。今、ここで、こうして生活できてよかったって思えるの。この子達がいなかったら、私はもっと悲惨だったと思う。

3人で手をつないで毎日、歩いていく。住む所もあるし、ご飯も食べられるし、みんな健康。こんな幸せはない。これからどう生活が変わっていくかわからないけど、どんな生活になっても、3人が元気で暮らせるという幸せは忘れちゃいけない。今日から5月。少し遅い新しいスタートになりますように。

 

 

2003年5月2日

運とタイミング

貧血気味なので、母に買ったはずのビタミン剤を飲む。食事は家で作ってい食べているから、栄養が偏っているはずはないと思うけど、食べてる以上に動いているせいかな。香港にいた頃は、炒め物や揚げ物を食べる事が多かったからか、知らないうちに貧血予防になっていたんだろう。これからは、自己管理を徹底しないといけない。

明日の連休は、友人家族が子ども達を預かってくれることになった。その間に、病院から荷物を持ち出したり、退院の手続きをしよう。預かってくれる友人も、小さい子どもた二人いるから大変だろうけど。。ご主人様も総出で、ウルトラマンショーと、動物園へ連れて行ってくれるみたい。私はとても助かるけど、申し訳ない。。でも、ご好意に甘えて、土曜日の夜はゆっくり休もう。

今日、お世話になった友人と電話でお話しする。先月、病気平癒のご祈願をたてたのが成就したので、近いうちにお礼参りをしようと思う。彼女のお母さまは、母と同じ病気で亡くなった。病気になるのも、世の中すべてのことは運とタイミングがあるのではないかと思う。ほんのちょっとしたタイミングが、生死を左右することもあることがわかった。母は運がよかった。

ガンの発覚、急性胆嚢炎の併発。これらの病気の順序が逆になっていただけでも、もっと大変なことになっていたに違いない。私の帰国のタイミングもあれでよかったと思う。あれよりも遅かったら、当初の予定通り、春に帰国していたら、もっとひどい状況になっていたに違いない。ガンだって、あれ以上、放っておいたら、手術だけでは済まなかっただろう。ぎりぎりの状態だったから。

そんなことから、ぱんださんは強運だよと言われる。そうかなあ。たしかにひどい状況なんだけど、もっともっと最悪の状況になる可能性だってあったはず。それを考えると、少し怖くなった。たぶん、私がキーパーソンに過ぎなかったんだと思う。鍵を握る人。実際に大変な目にあっているのは母だし、それを本来支えるべきの人は父のはず。なんだかわからないけど、私が間に入って、これ以上ひどくならないように動き回っているような気がする。

運とタイミング。これは目で見えるものではないし、実際に、運がいいとか悪いとか、後から気づく事が多い。タイミングも、勘で掴むしかない。これがベストの機であるかわからないけど、そうだと信じられるなら、動いていけばいい。幸運も強運も、幸せも不幸も、意外と、意識して見ないとわからないもの。

川が流れていく途中、障害物がある。まっすぐにそれにぶつかると激しい衝撃があるけど、川の流れにまかせてしまえば、ぶつかる衝撃は抑えられる。川の流れに逆らい、やみくもに流れていけば、ひどい目にあう。だから、私はひどい目にあったのかも。ひゃー。

どんな急な流れの川でも、下流に流れるにしたがい穏やかな流れになり、いずれは大海に注ぐもの。私は今、どのあたりを流れているのか。

 

 

2003年5月3日

ガンのステージ

今日と明日は、友人家族が子ども達を預かってくれることになった。いつもは私にべったりの下のムスコが、
「はやくいきた〜い」
とはしゃいでいるのに対して、上のムスコが
「マミィちゃん、ボクのこと忘れないでね」
と涙ぐんでしがみついていた。

ちゃんとごあいさつして、自分のことは自分でやるんだよ、と言うと、わかったと言い、一生懸命「こんにちは」の練習をしたり、服を着る練習をしていた。ウルトラマンショーと動物園に連れて行ってくれるそうで、本当に楽しみにしてはしゃいでいた。私抜きのお泊りは、これで二回目かな。

親がいなくても子どもは育つとはよく言ったもので、前のように手はかけられないけど、自分のことは自分でやるとか、私のお手伝いをするとか、あいさつするとか、人並みの事はかなりできるようになった。この子達には、いい加減なことをしたり、その場しのぎの言い訳は決してできないと思う。私が思っているよりもずっと、子どもは大人のずるさとか、言い訳や、生き方を見ていると思うから。

退院前に、母に関するすべての検査結果を聞く。驚いた。手術前の検査では、ガンはかなり広範囲に広がっているように見えたのだ。開腹してみると、がん細胞の周囲が炎症を起こしており、細胞が壊死していたり、分泌物が出ていた。これらは、外から見ると「すべてガンでぐちゃぐちゃ」に見えた。実際には、がん細胞自体はさほど大きくはなく、子宮内部にだけとどまり、子宮筋層の4分の一程度の浸潤で済んでいた。

子宮体ガンは0期からW期まで分けられるが、母はT期。T期でも、ガンの浸潤の度合いによってaからcまで分かれており、母の場合は、Tb期だった。Tc期になると、子宮筋層への浸潤は半分以上になるため、抗がん剤治療が必要になる。母は4分の一程度の浸潤なので、ぎりぎりセーフ。手術だけでよかった。あと数ミリ、ガンが浸潤していたら、Tc期だったのだ。

胆嚢に関しては、かなり稀なケースだったようで、病理の標本として、保管されることになった。胆管は通常の2倍に肥大しており、胆嚢も破裂する可能性もあったそうだ。ガンと胆嚢炎の順序が逆だったら、助からなかったかもしれない。

ここ数ヶ月、色々なことが起こったが、自分の力ではどうしようもないこともあることがわかった。ちょっとした運命のいたずらでどうにでも状況は変わってしまう。母の病室には、たくさんガン患者がいて、治療を受けている。ちょっとした病状の差、病気の部位の違い、病気になった時期のために、涙を流している人たちがたくさんいる。偶然に、母は物事が悪い方向に流れていかなかっただけのこと。生かされていることに感謝しなければならない。

明日はいよいよ退院。とはいっても、自宅療養にかわっただけなので、病人には変わりない。あと5年。再発しなければ「勝ち」。

 

 

2003年5月4日

退院

今日、1ヶ月ぶりに母が帰宅した。退院の日。天気の良い連休の中日。子ども達は友人宅で預かってもらっているので、静かな休日。

昨晩は、子ども達を預けたお陰で、自宅での仕事も終わり、ゆっくり眠る事ができた。ビタミン剤を毎日飲んでいるので、貧血の症状は随分、よくなったけど、ずっと歩き回っていたせいか、頭が痛む。

帰宅後、布団を干し、食事の支度をして、部屋に入る。いつもなら、子どもが邪魔をするけど、今日は静か。いい子にしてるんだろうかな。

今朝、友人宅に電話してみると、大変良い子だったらしい。遊びつかれて、8時半に寝ちゃったそうだ。友人のご主人様のことをずっと「お父さん」と呼んでいるらしい(汗)。別れる前から、この子達は、なぜか見知らぬ男の人を見ると、必ず、「お父さん」と呼ぶ。ほんとに誰にでも話しかけ、なついちゃうのだ。ちょっと年が若い男の人には、「お兄ちゃん」と呼ぶ。あちこちに親戚増やすんじゃない(大汗)。ともかく、連休を楽しんでいるらしい。昨日は、ウルトラマンショーに連れて行ってもらい、今日は、動物園へ行くと言っていた。ごめんね。でも、ありがとう。帰ってきたら、楽しいお話をいっぱい聞かせてもらおう。

世間は、連休なんだ。ゴールデンウイークなんだ。駆け足のように過ぎていった1ヶ月。気がつけば、初夏のような爽やかな毎日。寒くて震えていた頃が嘘のよう。もう5月。今月は、どんな日々が待っているんだろう。もう少し、良い報告ができる月になればいいな。

 

 

2003年5月5日

連休最後

今日は、連休最後の日。母も無事、退院でき、家でのんびりしている。良いお天気だから、子ども達を連れて、近くの児童公園へ行こう!

なんでも、ムスコ達が保育園で遠足に行ったらしく、ムスコの記憶を頼りに出かける(こわー)。
「えんしょく(=遠足)!」
と言って、上のムスコが先生のマネをしながら、先頭に立ち、その後を下のムスコ、最後に私がついていく。この5歳児の引率に任せながら(ひゃー)、電車に乗り、公園へ向かう。

上のムスコは方向感覚が優れているらしく、一度行った所は必ず覚えている。私が方向音痴でも。電車に乗り、目的地の駅でおり、公園があるはずの場所に向かうと、本当にあった!すごい!!

街中に小高い場所があって、小さいながらも、遊歩道やログハウスや公園がある。久しぶりに緑の木々の中を歩いていると、嫌なこともこれからのことも全て忘れてしまう。たっぷり遊んで、ベンチに座って、持ってきたおにぎりを食べた。暖かい陽気の一日。

夕方、また、3人で手をつないで家に戻る。この「いつも3人手をつないで」が当たり前のようになり、けっこう楽しく過ごしている。別れてから、子ども達は随分、成長し、しっかりしてきた。先日、預かってくれた友人にも言われたことだが、同じ年頃の子ども達より、我慢したり、人に気を遣ったり、優しくできる。あまり自慢できることじゃないけど。。

一緒にいられる時間は、ムスコ達が色々な話をしてくれる。新しく覚えたこと、雲のかたちが怪獣みたいに見えること、お友達のこと。

自宅に帰ると、久しぶりに友人から連絡が入っていた。離れていても、ふとした時に、相手のことを思い出したり、気にかけたり。人とのつながりは、簡単には切れないのだと妙に、感動したり。

それぞれが新しい生活を築き、新しい場所で頑張っていることが励みにもなる。なんだか、私と知り合うことで、みんな、自分の幸せを再確認しているよう(苦笑)。

今の私は、虚栄もはれず、素の自分に近い。必要最低限のものだけ持っている。でも、それでも幸せ。肩肘はることもなく、無理することもなく、自分を押さえつけることもなく、そして、何かに追い立てられるように結果ばかり求めることもない。奇麗事ばかり並べることもない。誰とつきあっても、素直になれるような気がする。連絡ありがとう。

 

2003年5月7日

初めての職安

職安。今は、爽やかにハローワークなんて名前が変わっているようだけど、どうも暗くて重いイメージが抜け切らなくて、行く気がしなかった。職安まで足を運ぶことすら気が重かったのに。職安は、家の目の前にあったのだった。あはは、やっぱりバカぱんだ。

買い物帰り、自転車でちょっとのぞいてみる。中に入ったとたん、驚いた。人が多くて。溢れんばかりの人、人、人。不況は本当なんだ。

初めてで、どこに行ってよいのやらわからない。係りのおじさんに聞いてみると、PCで仕事を検索して、気に入った仕事があったら、「求職票」に書き込んで、窓口に渡す。人がひしめく室内には、何十台のパソコンとプリンターが置いてあり、必死に画面を覗いている人たちがいる。その中の一台の前に立ち、近場の仕事を検索してみた。

派遣会社は、第三者を間に入れるので、時間も手間もかかり、面倒。また、仲介手数料もかかるので、企業側は、最近、値切りの圧力をかけているらしい。職安は、紹介する時点で、紹介料を払えば、あとは一切、払う必要がないことから、仕事は色々な所に流れているよう。日本に帰って、数ヶ月、日本の仕事事情を調べてみて、わかったこと。

仕事を検索していると、近場に私の条件にぴったりのところが一つあった。連休明けに、掲載されたばかりの仕事。ためしに申し込んでみよう。

このページをプリントアウトし、求職票と一緒に窓口に提出する。
「午後からの面接になりますよ」
ああ、いいんです、近いのでまた出直してきまーす。いったん、家に戻り、食事をしてから、午後また、職安に行く。午後は、さらに人が多かった。中高年が多いが、若い子もいる。落ち着かないまま、ぼんやり周りをながめていると、自分の名前が呼ばれた。

私の対応をしてくれた職員のおばちゃんは、大変、感じがよくて親切だった。私の状況を話すと、えらく気遣ってくれ、
「まあ、大変だったわね。早く、条件にあった仕事が見つかるといいわね」
お役所は、冷たくて、事務的で、いやな目にあうと人から聞いているけど、私は、運がいいのか、事務的で冷たいはずのお役所から、ほどこしを受けているのでありがたいこと。
「ただ、あなたの場合は、母子家庭だからね。職安を通して、母子家庭の方を雇うと、企業側に国から助成金がおりるのよ」

知らなかった。。窓口は別になるらしかったが、そこの窓口もひどい混みようで、この親切な職員さんが私の対応をしてくれることになった。

職安ははじめて。派遣と違っている所は、職安は紹介するだけで、あとの交渉、面接は本人と企業側で行うこと。私が申し込んだ企業に、直接、電話を入れ、紹介の約束をとる。そして、紹介状をもらい、履歴書と一緒に送付すると、後日、面接の日程が送られてくる。合否は、職安側と本人双方に伝えられる。

日本では、母子家庭というだけで、企業側は採用したがらないらしい。そこで、国が考えた政策は、高齢者、障害者、母子家庭など、「特定保護者」に対して、企業が職安を通して雇うと、国が1年間の給料の3分の1ないし、4分の1を助成金で負担するというものだ。ここまで「保護」しないと、雇用されるのは難しい深い事情があることに気づく。

ともかく、すんなり手続きは済んだ。
「大変だろうけど、がんばってね。早く良いお仕事が見つかるようにね。」
職安の職員さんから、励まされて、その場を出る。

人事を尽くして、天命を待つというが、人事は尽くし果ててしまい、これからのことを考える気力も体力もないの。今は、ゆっくり休みたい。

 

2003年5月8日

私が死んだら

母が病気になり、色々なことがいっぺんに起こるので、やはり考えずにはいられない。自分に万が一のことがあったあと。

生命保険に入るのは、仕事が決まってからにしようと思っていたけれど、予測できないこともあるから、先月、加入した。これで、私が死んだら3000万円下りる。兄弟二人で分けて1500万ずつ。住む所はあるから、これだけあれば当分はなんとかなるだろう。お金があるのと、ないのでは、随分違うから。

子ども達の保育園で、親子遠足がある。3人で、布団に入りながら、遠足の話をする。お弁当のこと、おやつのこと。何して遊ぼうか。すると突然、上のムスコが
「マミィちゃんが死んだら、ボクは一人で行かないといけない・・」

お母さんが死んでも、お父さんがいるから、そっちに行けばいいんだよ。嫌だと言って涙ぐんでいる。

別れる時、上のムスコには、理解できる範囲で説明した。嘘をついたり、だますようなことはしたくなかったから。お父さんとお母さんは一緒にいられないこと、日本のおじいちゃん、おばあちゃんの所に帰ること、幼稚園のお友達とはさよならをしなければならないこと。彼がわかったのは、幼稚園のお友達とさよならしなければならないことだった。離れても、ずっとお友達なんだよと言い聞かせ、日本にお友達が帰ってきたらまた、会えるから。そんな言葉で納得したようだった。

お父さんがいないということ。これは、最近ようやく理解したらしい。会いたい時は、いつでも会えるから。何があっても、面会だけは、続けてやりたい。父の存在が全く感じられないのと、感じられるのとでは、違うと思うから。

私にだけは、甘えてくる。どんなにしっかりしてきたといっても、所詮、小さいから、甘えられる時は甘えさせてやりたいと思う。子どもには子どもなりのプライドがあるから、それだけは傷つけないようにしたいと思う。いずれ、私から巣立っていくだろうけど、それまでの間は、楽しい思い出をたくさん作ってあげたいと思う。

 

2003年5月9日

再会

この頃ずっとばたばたしていて、ロクなものを食べていなかった。お友達とお喋りする余裕もなかった。母も退院したことだし、よく頑張った(と思う)自分へのご褒美さ。お友達とランチに出かけた。きゃー、嬉しいーー!!

お友達とは、香港の送別会以来だから、実に、半年ぶりの再会だった。久しぶりに上京して、旨いもんでも食うべ。ちょっと気になるのは、先月美容院できれきれしたもらったはずのアタマ。なんかこのヘアースタイルは、私に似合ってない気がする。案の定、ずばりと指摘されてしまふ。。やはり、このアタマで就職活動は難しいかもしれない。なんとか、すっきり見せる方法を考えねば、と心に誓った昼下がり。

イタ飯なんて、食べるのは何ヶ月ぶりだろう。香港マダム時代は、好きでよく食べた気がするけど、現在、びんぼーシングルマザーなので、食べる余裕がなかったの。久しぶりに、おいひいものを食べて、お友達とお喋りしたら、命の洗濯をした気分。

病室のあの重い雰囲気。病人から発散される負のエネルギーに毎日接していると、こちらも気が滅入ってくる。なんていうのかな。死と毎日向かい合っている人間の業みたいなものが感じられるのだ。なるべく深く考えないように気をつけていたけど、やはり、疲れていると思う。

平日の昼下がりに、明るい太陽の下を歩く。これだけでも、随分、気分が違う。たまには、背負っているものを横に置いて、ちょっと一休みすることも必要かもしれない。綺麗に着飾る機会があるだけでも、随分、違う。これからの課題は、このストレスをどうやって発散させるかだな。今までのように、荷物も責任も愚痴も嫌な気持ちも全て抱え込んでいたら、また、同じことを繰り返してしまう。負の悪循環というか、気分が滅入ると悪い方に悪い方に考えていく。この輪から、抜け出せるのは自分だけ。不満が抱えきれなくなる前に、少しずつ外に向かって発散させるようにしないといけない。その前に、このアタマをなんとかしないといけないな。わははー。

今日は、楽しかった。ありがとね。

 

2003年5月10日

春眠

ああ、眠い。。昨晩は疲れてしまい、子どもと一緒に早いうちから寝てしまった。翌朝、早起きして、PCをいじっていたら、下のムスコが起き出して、隣に私がいないのに気づき、泣き出してしまう。添い寝をしていたら、また、寝てしまった(大汗)。午後1時まで眠ってしまい、真っ青!になった夢を見る(冷汗)。

ともかく起き上がり、掃除をして、買い物に出かける。お昼を食べたら、また、眠くなってしまう。公園に行こうと約束していたので、ムスコ達がソファーで横になっている私の上に飛び乗ってくる。それでも起き上がれず、またうとうとしてしまった。夕方にお約束の公園へ行く。

今日は、天気は良いものの、肌寒い天気。日本の気候は、暑くなったり、寒くなったり、よくわからない。長袖シャツ一枚で出かけたので、夕暮れ時には、肌寒くて仕方がなかった。

さて、これからどうしよう。母も退院したことだし、転移もなく、今後の治療も必要ないようだから、そろそろ自分のことを考えたい。本格的に就職活動をしようかとつい口をすべらせてしまったら、母の口調が気のせいか、不満気だった。母の体調回復と私の仕事探しのペースがうまくいけばいいんだけど。急いで探すつもりはないので、すぐに働き始めるわけではないんだけどな。

明日、動物園へ行くお約束をする。子ども達とゆっくり出かけられるのは土日だけ。家にいると、気を遣うので、外の空気を吸っている方が、疲れても気は楽。たまの休みに家族サービスするパパさん達は大変だな、と思っていたけど、あれはあれで楽しいんじゃないかな。子どもと外で走ったり、笑ったり、ご飯を食べたり。気持ちが和んでいくのがわかるから。

明日は日曜日。良い天気でありますように。

 

 

2003年5月11日

ヘアースタイル

香港にいる時は、お友達の腕の良いスタイリスト様が髪を切ってくれていたので、いつもお任せだった私。美容院に行って、ああだこうだ髪の注文をつけるのがめんどくさいので、気に入った店にずっと通い続けていた。幸い、わりとセンスの良いスタイリストさんたちに恵まれていたので、私の(かなり)てきとーな注文に耳を傾け、それなりに似合ったヘアースタイルにしてもらっていた。

さて、今回、帰国し、引越しをした。新しい土地の美容院情報はまったく入ってこない。駅前に、数件こじゃれた店はあるが、どこがいいのかわからない。

ある日、家のポストに「開店1周年 半額!」という広告を発見する。この店は、東京、ニューヨーク、ロンドンなどに支店を構え、いわゆるカリスマ美容師もかかえる店だった。ヘアースタイリスト(美容師さんね)は5段階に分けられ、ランクによって、料金もかなり違う。よくわからないので、一番安い「スタイリスト」料金にしよう。

おしゃれで広い店内。美容院に必ず、置いてあり、私が楽しみにしていた女性週刊誌は一冊もなく、あるのは、ファッション系・こじゃれたインテリア系雑誌のみ。

「お待たせしました」
出てきたのは、演歌系歌手。ちがうー。私の髪を担当するヘアースタイリスト。スタイリッシュなお店とその職業には似つかわしくない、なぜか、五分刈りの(演歌系)青年だった。うっ、嫌な予感。。

めんどくさいので、例のごとく、適当に注文をつける。毛先を切って、ウェーブをかけて、髪を染めてください、と言った・・気がする。そして、5時間後。読みたくもない雑誌を散々読んだ後、鏡に写った私はヤンキーだった。きゃあ〜。

どういう風にウェーブを入れたのかわからないが、ウェーブはあまり出ておらず、ちりちりに見える。髪の色は明るすぎるんでないか?と、家に帰って、1週間後にそう思った(少し時差がある私)。

今まで使っていたムースを律儀に使っていたが、綺麗なウェーブには、あのしっかり系ムースは良かったが、今のちりちりウェーブはまったく受け付けない。また、老親が使っているスーパー特売シャンプー、リンスは使えば使うほど、髪がぱさつく。何かおかしい・・?

シャンプーは香港マダム時代に愛用していた舶来もの(死語)に切り替え、リンスも数段階グレードアップしたものを購入し、早速、使ってみる。お風呂で、髪にリンスをすりすり、すりこむと、なんだか髪が蘇っていくようだった。いや、本当に蘇った。翌日、髪を濡らし、新しく購入したヘアージェルをすりこむと、今までどおり・・とはいかないが、ふわふわウェーブになった。しかし、茶ぱつは変わらない。

この髪型で、面接を受けにいけないので、アップにしようと心に誓ったのであった。新しいこの土地で、早く、美容院新規開拓しなければ・・

 

2003年5月12日

母娘の関係

今日は、きつい一日だった。はあ。。

大きな病気を治療して、ほっとすると、色々欲が出てくるんだろうな。あれもやりたかったのに、もっと構って欲しいのに、私は大変な病気をしたんだからって。もっといたわるべきだったんだろう。私は、自分のことで手一杯。疲れてだるくて、目が回る。朝、起きあがるのが辛い毎日。外を歩くと、ふらふらする。今日なんか、赤信号なのに道路を渡ろうとしてしまった。危なかった。

親子だからって言っていいこと、悪いことはあると思う。これが他人行儀だと思われても私はそう思ってる。今日の言葉はちょっとひどかったんじゃない?「あなたは私が困っているのを見て、喜んでいる」とか「自分のことばかり考えて人のことは考えてない」とか「あなたは考え方が間違ってる」とか、挙句の果てに、「根性悪!」か。。はあ。。情けなくて涙が出てきた。

せっかく助かった命。同じ病気で涙を流している人もいるのに。なぜ大切だと思えないのかな。なぜ生かされていると思えないのかな。生かされた意味はきっとあるはず。無駄だったことなんてないはず。神様から与えられた大切な命のはずなのに、大切にできるのは自分だけなのに。

他に吐き出すところがないから、私に吐き出しているんだろうな。私にもう少し余裕があれば、いや、母だって余裕がない。互いに、限界ぎりぎりの所にいるから一触即発。今日、大爆発を起こしただけ。

原因はどれも些細なことばかり。でも、母は布団の中だけが今の世界のすべてだから、私には「些細なこと」でも、母にとっては「大事件」。私たち母娘だけでなく、夫婦関係でも同じようなことがおこってるのかも。夫にとっては、些細なことでも、「家の中」が全ての奥さんにとっては、些細なことではない。住んでる世界が違うと、こんなことは良く起こるのかもしれない。

じゃあ、どうしたらこのギャップを埋められるんだろう?やはり、互いに歩み寄るなり、もう一度考えてみないといけないんだろう。片方だけじゃなく、互いに。

家族は面倒。長い付き合いになるなら、ある程度、距離を保つこと、互いに「自分」の価値を見出だせる世界を持つことも必要。

そんなことを考えながら、ぼんやり過ごす。頭がぼーっとして考える気力がない。疲れた。ゆっくり眠りたい。しばらく、そっとしておいて欲しい。そんなことを考えながらも、疲れたと言えない自分。一人になりたいと考えている自分。

そういえば、結婚している時もそうだった。ああ、同じだなと思いながら、母から受けた言葉を流そうと思ったのに、流せなかった。やっぱり繰り返す。根本的な問題はまだ解決していないんだろう。

今日は、ゆっくり眠りたい。

 

2003年5月13日

その後

母が、家出をして帰ってくる。決まりが悪いのか、何事もなかったかのように過ごす。

私は、薬を飲んでゆっくり眠ることにする。多分、疲れてるんだろう。薬は香港でもらってきたもので、何かの時のためにとっておいた。睡眠薬ではなく、軽い安定剤のようなもの。飲み慣れていないので、半錠ずつしばらく飲むことにする。体がだるいので、いつもより睡眠をたくさんとる。薬のせいか、疲れているせいか、考えもまとまらない。

夕食後、片づけをしようとしていたら、ムスコ二人が手伝ってくれた。食べ終わった食器を台所に運び、上のムスコが食器を洗い、下のムスコがテーブルを拭く。
「マミィちゃんは、遊んでていいよ」
えっ、ほんとに!?嬉しい!とはいっても、側にいて、食器の洗い方、洗剤の流し方、そのあと、食器を拭いて、所定の位置に置くことを教える。よくできました。この子たちがいるなら、どこでも暮らしていけるなといつも、思う。

半年ほど前に、香港に観光旅行に来た女の子と一緒にボディコンバットをやったことがある。ネットで知り合った不思議な縁。帰国した旨など、まったく連絡していなかったが、私の日記を読んで、帰国した事情を知り、連絡をくれる。たまには空を仰いで、ボディコンバットをするのもいいかもしれない。ちょうど、やりたいと思っていたところだったから。

長い間、連絡をとっていなかった友人知人が、この日記を読んで、時々連絡をくれる。ネットがなければ、きっと、何も無いままに終わってしまう。知らない間に、色々な人たちと繋がっている。人とのつながりは、目で見えないから、付き合い方は難しい。四六時中連絡を取り合い、「繋がっている」ことを常に確認しながら過ごすのではなくて、ふとした時、相手のことを思い出したり、気遣ったりできる繋がりは、けっして切れることはないのかもしれない。どんな縁でも出会えたことは嬉しい。

 

2003年5月14日

家庭訪問

すっかり忘れていた。日本には家庭訪問があったのだ。ムスコ二人いるので、二日連ちゃんの家庭訪問であった。子ども二人いると、誰がどのムスコの担任だったか忘れてしまう(汗)。

幼稚園と違って、保育園は遠くから通う子もいるので、先生は大変だろう。お母さん達はみんな働いているので、家庭訪問といっても、玄関先で簡単にお話して終わってしまう。仕事をしていると忙しいのか、子どものことで先生や園に色々な要求をする父母はおらず、ひたすら、日々の生活で目一杯という感じ。朝、あわただしく、挨拶をして、それぞれが仕事へ出かけるので、いまだに誰が誰のお母さんかわからない(汗)。

家庭訪問の際、一つ先生から質問をされる。「父の日」のこと。この保育園は、教会が運営しているせいか、母子家庭がやけに多い。私たちも、「イエスさま」に拾われたんだけど。他の母子家庭事情はわからないが、私は、父親がいる以上、かかわりがあった方がいいんじゃないかと思う。と、自分の意向を先生に伝える。

昨年末に帰国してから、すでに半年が過ぎた。その後引越し、転校色々あったが、思った以上に子どもは柔軟で、毎日明るく元気に暮らしてくれている。ありがたいこと。園でも特に、問題はないようで、お友達もでき、楽しそうに過ごしていると言われた。良き哉。

あんなに野菜嫌いの好き嫌いの激しいムスコたちも、ベジタリアン給食を食べている。よいことじゃ。何でも食べよう、よく噛んで。

家庭訪問は無事に終わった。今月末は、親子遠足がある。前から行きたかった地元の大きな公園。年子なので、下のムスコを上のムスコのクラスに参加させることにした。楽しみ、楽しみ♪

とりあえず、みんな元気で生きてるし、ご飯も食べられるし、寝る所もあるから、あまり細かいことは気にしないようにしよう。肝が据われば、どこでも生きていけるさ。こんな生活が一生続くことはないだろう、と去年の自分の有様を思い浮かべながら思う。

 

2003年5月15日

ボディコンバットふたたび

ボディコンバットやりませんか?とお誘いを受けたのに触発され、無性にやりたくなり、今日、突如、ビジターとして潜入することに成功したのだった。

子どもを保育園に送った後、スポーツクラブに出かける。ビジターは1500円で参加できるが、あくまでも体験なので、一回きり。ただし、このスポーツクラブと提携しているクレジットカードに入会すれば、毎回ビジターとして参加でき、お買い物するごとに、割引券が2枚ついてくるそうだ。しかーし!現在無職の私がカードの審査に通ることは難しいと思われ。。これは、落ち着いた後のお楽しみとしてとっておこう。

さて、ボディコンバットをやるのは半年ぶり。帰国前は、週に2,3回は参加していたものの、疲れ気味もあり、体がなまっているのもあり、少し不安。それに、日本でコンバットは始めて。

さて、午前中のクラスにもかかわらず、部屋は人でいっぱい。インストラクターのテンションはやはり、香港の方が高いかな。まあ、外人はただでさえテンション高いから仕方ないか。インストラクションはもちろん、日本語。「前蹴り!」「肘ー!」と言われてなんのことかと思ったら、「Front Kick」と「Elbow」のことだった。その通りなんだけど、指示が全て日本語になっているのがちょっと面白かったりして。

私が参加したのは「コンバット45」。45分間のコンバット。香港でも45分だったか?ただし、香港では最後の10分は柔軟だったので、実質は30分ちょっとだった。おかげで死にそうだった。最後の10分。1時間のコンバットに参加していたら、間違いなく死んでいたと思う。ちかれたー。

でも、久しぶりに汗を流してキックやパンチをしてきたら、すっきりした。また、行きたいなー。でも、今度はいつ行けるんだろう。就職が決まったら、まず、スポーツクラブに入りたいと心に誓った昼下がりであった。

 

2003年5月17日

子どもと英語

最近、日本では、子どもの英語熱が高まっているようで、私もその恩恵にあずかることになり、子どもの英会話講師を始めることになった。色々どたばたがあったものの、英会話サークルで、英語の授業を受け持つことになった。

人数が多いので、アシスタントの先生もつく。子ども達は、下は2歳、上は小学校高学年、総勢10人であった。前日前前日に慌しく準備をする。大人なら、ある程度、反応も予測できるが、子どもはこちらが思っても見ない反応をするので、実際に、授業をしてみないとわからない部分が多い。実に、その通りの授業であった。たははー。

子ども10人集まると、10通りの反応があって面白い。自分のムスコ達と似たような年頃なので、どこのうちも同じなんだと妙に感動。

日本で加熱している英語ブーム。語学は、コミュニケーションの手段にしかすぎないので、語学だけを究めるのではなく、語学を学ぶことを通して、何か得られればいいなと思う。語学が武器にする通訳にしても、通訳する部門のバックグラウンドがないと仕事にならない。「英語」ができるだけでは、食べていけない。ある程度、ものになるまでは本人の努力と持続力が必要になってくる。どうやったら頑張れるのか、どうやったら勉強を続けていけるのか。それはやはり、「好き」でないと頑張れないし、続けることは難しい。

何かを学ぶ際、「好き」になるきっかけはほんの些細なことだったりする。誰かから誉められたりとか、面白い体験をしたとか。そんなきっかけが得られるのなら、それはラッキーなこと。運悪く、嫌いになるきっかけがある場合だってあるのだから。嫌いになってしまうきっかけだって、些細なことに過ぎない。でも、そんな些細なことで、何かを得られる、学べるチャンスを逃してしまうのは惜しいこと。たったそれだけのことで、ある世界への門が閉ざされてしまうのだから。

子どもは未来があるから、可能性は多いほうがいい。ちょっとした機会を与えられることによって、大きな未来が待っているかもしれないのだから。

 

2003年5月19日

雨の月曜日

雨の月曜日。このところ雨ばかり。もう梅雨が近づいているのかな。子ども達を保育園に送り、家事を済ませた後は職安へ行く。雨のせいか、いつもより人が少ない。が、収穫もなし。

前回、職安から紹介状をもらい、某企業に履歴書を送付したが、2週間たってもなしのつぶて。ダメならダメで、紹介状を返してくれないと、次にいけないの。待つのは嫌なので、直接、企業に電話してみる。不採用を言い渡してくれれば、次にいけると思い、催促のつもりで電話したのだが、相手先が言うには、「予想以上に反響がすごくて、面接の日取りを調整しています。もうしばらくお待ち下さい」と言うことだった。ダメだこりゃ。採用枠はたった一人。そこに何十人殺到しているんだろう。

ダメなら次。登録している派遣会社に電話してみる。プライドもなくなりつつあるので、未経験OKの電話オペレーターとカード加入促進キャンペーンの応募状況を聞いてみる。どちらも、すでに採用者が決まりつつあるようだった。早い。早すぎる。。しょうがないので、地元に強そうな派遣会社にも、登録する。

夕方、派遣会社から電話が入った。仕事の紹介だった。なんだか私はタイミングが悪く、登録した当時は、子どもの保育園が決まっておらず、その後、母が倒れ、入院・手術で仕事どころじゃなくなった。そんなときに限って、仕事の紹介が来て、無念の辞退。さて、今回は万全。どんな仕事だろう?

「近場で仕事を」と呪文のように唱え続けた甲斐あって、紹介される企業は、徐々に家に近づきつつある。今度の紹介先企業は、保育園から3つ目の駅だった。しかーし!駅から徒歩17分。ドイツ系機械メーカー、営業事務。なんで私が?これはミスマッチ。紹介している派遣会社の営業の人も、これはちょっと難しいかもしれないと言い出す。なんで紹介されたんだろう?

「あの、私はですね。職種、業種一切問いません。近場であればどこでもいいんです。ですから、電話オペレーターとか未経験者でも可の仕事を紹介していただけませんか?」

「合った仕事は出てくると思いますよ。」
まあ、派遣社員は、派遣会社にとって「商品」のようなものだから、一番高く売れそうな所にうまく売り込むのが仕事なんだろう。マッチングね。

それにしても、今、私が苦戦している「事務経験なし」の経歴。すぐに結婚してしまうなら、大企業に入って大人しく事務をしていれば・・とつくづく思う。でも、若かりし頃の私ときたら、事務なんて絶対にやりたくないとツッパっていたのだった。。若い頃キャリアにならないとバカにしていた事務仕事が、一番のキャリアだったのかもしれないと思う。あの時、ぽいぽいゴミ箱に投げ捨てていた数々の大企業からの求人。若いということは、頑固でバカということだ。私だけか。。

先日の仕事は、金銭面でトラブル中。。日本は今、不況で金払いは悪いのだった。お金は天から降ってくるものではなく、自分で稼ぐもの。簡単に楽して稼げる仕事なんてありはしないことがよくわかった雨の日。

 

 

2003年5月21日

シングルマザー達

ムスコ達が通っている保育園は、教会が運営しているからか、母子家庭がやたら多い。私も「イエス様」に拾ってもらった一人なんだけど。

毎朝、40分かけて登園する。坂道の上に、レンガ色の教会が見えたら、ゴール。この最後の急勾配の坂道がきつい。でも、寒い日も、暑い日も、雨の日も、このレンガ色の教会を見えたらほっとする。重荷を背負っている人が、宗教にはまってしまう訳もわかる。何かにすがりつきたくなる気持ちはわかる。私は、ただでさえはまりやすいタイプなので、特定の宗教は信仰しないようにしている。神仏を信じていない訳ではないけど、自分を救えるのは自分だけじゃないかな、と思うから。

下のムスコのクラスメートのママも、シングルマザー。綺麗でおしゃれなママで、いつもムスメちゃんと仲良く手をつないで登園している。彼女はムスメちゃんが生後4ヶ月の時に離婚したので、ムスメちゃんは父親の存在を全く知らないらしい。生後4ヶ月か。。自分の離婚前後半年間の大変さを考えると、どんなに辛い日々を送ってきたかわかるような気がする。そのムスメちゃんも、今月5歳のお誕生日を迎えた。今は、穏やかで幸せそうにみえる彼女達にとっての5年間。どんな日々だったんだろう。

たった5年。されど、5年。今の私にとっては、とても長い月日に思える。先はまだまだ長い。まだ別れて半年しか経っていないのだから。あと5年経ったら、どんな生活を送っているんだろう。

 

2003年5月22日

仕事探し

帰国してバタバタが続いていたけど、ようやく仕事探しに本腰を入れられそう。自分の今の状況をよーく考えて、近場に的を絞って探すことにする。できるだけ情報を集めて、網は張れるところに全て張り、入ってきた仕事の中で一番自分の条件にあった所をゲットしよう。

派遣会社に登録はしているものの、不景気のため、求人は少なく求職者が多い。そのため、条件とは程遠い仕事しか紹介されない。しつこく待っていればそのうちに、もう少し条件がいいものが来るのかもしれないが、待ってられない。地元に強そうな別の派遣会社にも登録する。

ネットで出ている仕事は、「サクラ」の場合が多い。電話で問い合わせてみると、「その仕事は他の方で話が進んでおりまして」とか「別の派遣会社で決まってしまいまして」なんていわれる。新着求人は早いもん勝ち。しかも、派遣会社同士の競合もあるから、紹介されたからといって、その仕事が決まるとは限らない。メールでやりとりしても、あまりよく事情がわからないので、直接電話し、営業の人(コーディネーターね)と話をしてみる。広告でうまい話ばかりをしているけど、実際のところ、派遣も厳しいらしい。企業側から(多分、細かいであろう)出される条件と、候補者の経歴を見比べ、「絶対に」決まりそうなケースしか紹介しない。企業にしてみれば、お金を払って求人しているわけだから、よりよい人材を、できれば手間暇かけずに見つけたい。仲介業者は、そこらへんのシビアな話は、登録者には話さずに、つなぎで人材の確保だけは怠らない。

職安。もう嫌になるくらいすごーい人。自宅が職安の前なので、ちゃりんこで時々通って、検索機でチェックだけはかかさない。なんだか、母子家庭は「特定保護対象者」らしいけど、人手を探している企業だって、慈善事業をしているわけではないから、条件にあう人を雇うだろうし。

こんな就職活動長く続けていると、落ち込むだろうなあ。無理な仕事を引き受けても、多分、色々な人たちに迷惑をかけてしまうことになるから、納得がいくまで探そう。100社まで探す気。だからまだまだいけるかも!?

 

2003年5月23日

めまい

昨日の夕方あたりからどうも息が切れる。今朝起きて、いつものように40分かけて保育園へ登園。息は切れる、ふらふらする、しかも、体が地面に沈み込んでしまいそうになるくらい重い。

子どもを送って、自宅に戻る。ソファーに倒れこんでしまう。ビタミン剤を飲んで、少し休もう。ストレスばかりたまるので、煙草の数ばかり増え、食事は適当にしているから、こんなことになるんだ。わかってるんなら、きちんとした生活をしなさい。・・はい、わかりました。

食べなきゃいけないのはわかっているけど、食欲がわかない、というか、食べるということに気が向いてくれない。他にやらなければいけないことがあるからだろうな。美味しく食事を取れるのは、幸せなことだったんだ。

へろへろなのは、母ばかりではなく、ムスコ達も同様。
「なんで保育園こんなに遠いのお〜」
と毎朝、半べそをかきながら登園する下のチビ。おまけに、ふらふら私につかまって歩いていた上のムスコが転んでしまった。流血。。途中、コンビニでマキロンと大きめのバンドエイドを買って、応急処置。はあ〜。

仕事が見つかって、落ち着いたら、家の近所に新しくできた夜間保育園に転校させようかと思ってしまう。しかし、この保育園事情の悪さを考えると、転校はかなり難しいだろうな。仮に一人受け入れられても、二人は無理かもしれない。あと2年。小学校に入るまでの辛抱とは思うものの、それまで持つんだろうかな?

仕事始めたら、今より、30分以上早起きして、登園しないといけないんだよ。・・・近場で、仕事探そう。。

 

2003年5月24日

遊園地に行ってきた

友人家族と遊園地に行ってきた。自宅から電車を乗り継ぎ、ようやく着いたのは2時間後。やってきました、よ○うりランド。

さびれた駅からゴンドラに乗る。ゴンドラ料金は、子どもも大人も同じく300円。ちょっとお、高いんじゃないの?これに乗りたくなければ25分間山道を登るのだ。いやだい!

友人が読○新聞を購読したおかげで、よ○うりランドの無料券が手に入った。その日は、ハム太郎ショーがある日なのだ(ハム太郎風)。念願のハム太郎ショーは、ハムちゃんのぬいぐるみがでかすぎて、怖くなっちゃった下のムスコ。上のムスコと友人のムスコは、最後に、ハムちゃんずと握手してもらい、ご満悦であった。

園内を見て歩く。入園料は、今回は無料券があるからタダとして、普通に払うと高い。乗り物代は、一回300円から。観覧車なんて600円だよ。駅からのゴンドラ代だってチャージするし。ところどころ、せこーい!と叫んでしまうような場面が多々あった。食事は、おにぎり持参でよかった。レストランや売店は多いものの、高い+まずい。途中で食べたアイスクリームは、驚くほどまずかった。次回は、飲み物も持ってこよう。常連組らしき家族は、お弁当と敷物を持参していた。弁当が正解だな。

と、せこい遊園地だったが、子どもはそれなりに楽しそう。大きな乗り物には見向きもせず、ひたすら、100円乗り物コーナーにへばりついているか、アシカショーで喜んでいた。無料券で、朝から閉園までねばり、しっかり楽しんできた。帰り際に、割引券をもらった。高くても来てしまうんだろうな。。次回は、プールに来よう。

それにしても、ちかれた。往復4時間弱。帰りの電車の中で、熟睡してしまいそうになったぱんだ母子。ぐーー。。

 

2003年5月25日

自分の値段

分が社会から必要とされているのかと考える時、客観的に、自分を「値踏み」してみる必要があると思う。先日、地元に強い派遣会社に登録に行った。さすがに、登録数社目になると、コツも分かってくる。コツというか、企業側が求職者に何を求めているかわかってくる。

最初の頃は、ただ登録に行ったという感じだったが、自分を「売り」に行くための登録だから、今回は、そこらへんを踏まえて話し合う。

大きな会社で働いていたり、配偶者が社会的に高い地位にあったりすると、自分もそれだけ「値段」が上がるような錯覚をするが、実際の値打ちはどんなものだろう?値打ちという言い方が好ましくなければ、自分がどこに求められているかということ。

自分の存在を軽く見られたくないために、実際以上に高く値踏みをしてしまう人は多いと思う。誰もが、自分がかわいいから。案外、そんなものじゃないかと思う。それがわかっていても、プライドや見栄が入ってくると、それが見えなくなってくる。他人には冷静に判断できても、それが自分のことになると、途端に、視界が曇る。見たくないのもあるのかもしれない。

意外に、無意味なプライドを捨てれば、あっさりと自分の姿は見えてくる。さて、私の「値段」はいかほどかしら?

 

2003年5月26日

就職活動記録

母は随分、元気になり、今日は、外に散歩に出かける。まだ本調子ではないものの、家の中で、普通に日常生活が送れるようになった。そんなわけで、気合入れて仕事を探す。

今日は月曜日なので、恒例の職安通い。が、収穫なし。都内の方がやっぱり仕事はあるな。派遣だと交通費が出ないから、近場で探すとして、正社員、契約社員くらいなら、上京してもいいか。でも、なんだかいまいち乗り気がしない仕事ばっかり。

日曜日は、新聞紙面に求人広告が出る日だ。ざあっーと目を通す。新聞は、色々な人が見るから、ものすごく人が集まるらしい。ちょっと気になる求人があった。その企業のHPからエントリーできるらしい。どうせ書類選考で落ちるだろうと思いきや、書類選考はなく、いきなり、筆記試験の日程が送られてきてしまった(汗)。筆記試験?ネットで検索すると、一般常識試験、英語、国語、算数の試験らしい。ひえー(大汗)。

今、日本は不況なので、まともな仕事を探そうとすると、新卒の若者と一緒に就職戦線に立たなければならない。上記の企業だって、新卒の若いお姉ちゃん達と一緒に試験受けるの。。下手な鉄砲もたくさん打てば、当たるから、試験の練習だと思って行ってこよう。逝ってきます。。。

3週間前に、職安で見つけた仕事はまだ、音沙汰なし。あれが一番条件がよかったんだけどなあ。不採用なら、次に行くから、早く連絡ちょうだいな。

年齢の高さ(涙)、事務経験のなさとカバーするため、お勉強することにした。就職用一般常識の問題集を買い、久しぶりに、「つるかめ算」だの「食塩水の濃度」の問題を解いてみた。情けないほど忘れてますわ(涙)。英語は、TOEICの勉強をしていたからなんとかなるか。TOEIC820点なんて、吐いて捨てるくらいいるんだろうな。もう一度、受けてみよう。目指せ900点!

今現在、書類選考で落とされた会社9社。うち、バイトの不採用一社あり(泣)。10社目は選考中、11社目はこれから筆記試験。記録更新中になるか?!

 

2003年5月27日

私は何をしたいんだろう

私は一体、何をしたいんだろう?なんだか、不毛の行動を繰り返しているような気がする。何をこんなに焦っているんだろう?仕事を始めれば、すべての問題が解決するんだろうか。違う。それは、また、別の始まりにすぎない。新しい世界へ進めば、きっと、別の悩みや問題が出てくるだろう。だから、今、焦ったり、落ち込んだりする必要はなく、流れに任せていい時期に来ていると思う。

焦ってどうしようもない時は、先月の自分、去年の自分を思い浮かべる。母の手術が終わり、体調が悪かった先月の自分。どうしようもない悩み事に苦しんでいた去年の自分。あの時、あの頃に比べれば、ずっと状況はよくなっているし、前に進んでいる。毎日過ごしているとわからないけど、気がつかないうちに進んでいる。黙っていても、流れていく時もあるのかもしれない。

流れに逆らっても、思わぬ方向に流されるだけだから、今は、何も考えるのはやめよう。きっと、来月、来年の私が今の私を見て、苦笑いをするかもしれない。

 

2003年5月29日

 晴れた日に

晴れた日に今日は、めずらしくいいお天気。こんな日はなにかやってみよう。先週から就職活動を始めて、一日ひとつ何かやろう!キャンペーンを実施中。

日曜日、ネットから某日系企業にエントリー。11社目。これは後日筆記試験。

月曜日、ネットから某外資系企業のアルバイト求人を発見し、書類提出。12社目。これは、書類選考後、連絡がくる(かもしれない)。

水曜日、派遣会社に登録に行く。登録もこれで5社目。地元に拠点をおく某日系大企業が出資している派遣会社で、地元がなわばりらしい。登録も5社目になると、面接のコツもだんだんわかってくるし、どういう人材を求められているかも次第に分かってくる。日本の場合、「何ができるか」ではなく、「会社のためにどれだけ働いてくれるか」。この派遣会社は、早速、紹介したいと言ってはくれたが、ここまで来たらできるだけ粘って、少しでも条件に近い所を探したい。

今日は、職安へ行く。あいかわらずすごい人だけど、母子家庭=特別保護対象者なので、あまり待たされなかった。3週間前に、応募した企業は、採用枠1名のところに応募者が殺到したらしく、いまだ、書類選考中。この窓口のおじさんも面白い人で、
「そうか、じゃあ、次行ってみよう!」
ってことで、次行ってみよう!検索機で見つけてきた官公庁の仕事。年齢が30歳(位)と書いてある。ちょっとオーバーしてるんだけど(汗)。おじさんが件の官公庁に電話してみると、30歳以上の人はいないのでダメですと言われる。がっくし。

別の官公庁の仕事。こちらは年齢ぎりぎりセーフ。しかし!書類必着は明日までだ。まだ間に合うから、応募してみることにした。13社目。こちらも応募者多数につき、書類選考が先なの。
「もう一つ行ってみようか?」
という職安おじさんにつられて、もう一件応募する。こちらは採用枠1名の所に100名近く集まっているそうだった。無理かもしれないけど、ダメもとで応募。14社目。

ちかれた。。そこに、昨日、登録した派遣会社から仕事の紹介のお電話。
「ちょっと、特殊な仕事なんですが・・」
米軍基地への食料輸送の仕事だった(汗)。・・・そして、勤務地は、地の果てだった(T-T)。。前は、外資系企業幹部クラスのヘッドハンティングの手伝いの仕事を紹介された。どうして、特殊な任務ばかり!?もしかして、このツッ○リ頭のせい?!
 

 

2003年5月30日

遠足

今日は、保育園の親子遠足だった。幼稚園とは違い、働く親ばかりなので、ふだんはめったに顔を合わせることのないママ達とお話できて楽しかった。お天気にも恵まれ、自然がいっぱいの公園で、一日中遊ぶ。今日は、就職活動はお休み。

それにしても、母子家庭の多い保育園で、クラスの3分の一くらいは母子家庭なんじゃないだろうか。日ごろほとんど顔を会わせないママも、今日は仕事を休んで参加。中には、土日、連日深夜まで仕事をしているシングルマザーもいて、非常に有意義な話をいっぱい聞いてくる。

やっぱり、生活するには、どこかで割り切らないといけないと思う。迷ったら進めない。仕事も不況のため、本気を出して探して、気合入れて働かないと食べていけない。私も甘かったと思う。

来週から6月が始まる。いままであちこちに「種」を蒔いた。雨や風や太陽からの栄養分をたくさん吸って、その中から芽が出るだろう。不毛の土地でないかぎり。

これから雨の季節に入るが、鬱陶しい雨も、種が芽を出すためには必要な雨。来週、蒔いた種のうち一つ、もしくは二つ結果が出る。芽は小さくても、いつかは、大きく根をはり、大きく成長できるはず。

 

2003年5月31日

雨の季節

昨日の遠足で、かなり日焼けしてしまい、無様な日焼けの跡がくっきりついてしまった(泣)。Tシャツの跡がくっきり。。日本の日差しをなめてました。。

今日は、昨日とはうってかわって、すごい雨。バイトの帰り、雨の中を歩いたらずぶぬれになってしまった。そういえば、日本には梅雨があるんだっけ。すっかり忘れていた日本の気候。やっぱり慣れるまで、季節をひとまわりしないといけないのかなあ。子ども達は思った以上に早く、新しい環境になじんでいるように見える。多分、戸惑っているのは私の方だと思う。何をするにも、昔の記憶をたどり、新しい環境に合わせようとする。一つ一つが未知の経験に近いこと。

明日から6月。日記をつけ始めて、ちょうど1年になる。ほぼ毎日つけているので、すごい記録になるかもしれない。しかも、激動の毎日だし(汗)。早く良い報告を書きたいな。