2002年10月の日記

流されてみる

彷徨のはてに

秋の日

新札

新物

予定のない日曜日

くるくるまわる

香港の季節

前にすすむこと

学んで欲しいこと

連休

疲れた体に

「モモちゃんとアカネちゃん」

霍乱

「飛ぶ夢をしばらく見ない」

カニの季節

壊れてしまったもの

夜の闇

ボディコンバット

体調不良

疲れちゃったの

大きな森に

お熱出ちゃった

「人間失格」

ハロウィン

2002年10月1日

流されてみる

今朝、いつもどおり目を覚ます。いつも通り顔を洗って身支度する。今日から、10月。

今日は、お休みなので、家族の為に食事を作り、皆で一緒に食卓を囲む。食事が終わると、皆、自分のために時間を過ごす。ゆっくりテレビを見たり、コーヒーを飲んだり、遊んだり。何気ない日常。何もせずに、ただ、流されて過ごしても、毎日はやってくる。頑張っても頑張らなくても明日はやってくる。

たまには流されてみるのもいいかなと思ったりする。ただ過ぎていく時間に身を任せてもいいかなと思ったりする。待つ事が無為の日々じゃなくて、何もせずにじっとしていることが呆けた日々でもなくて、そういう時期でもあるのかもしれないと思ったりする。ある日、突然、前が拓けてくることもあるかもしれない。

今日から10月。やっぱり10月。10月をどう感じるかは私しかわからないから。こんな2002年10月でもいいかもしれない。
 

 

2002年10月2日

彷徨のはてに

時間だけが勝手に進んでいくので、取り残されたような気持ちになり、道しるべもなく流されていく不安もあり、つい人に助けを求めてしまう。

私が助けを求めると、優しくあやしてくれる人たち。

私が見えている以上に、色んな事が見えているだろうに、私が傷つかないように黙っていてくれる。

溺れてしまわないように手を差し伸べてくれる。

私が道に迷わないように、視界を広げてくれる。ありがとう。

みんなだって、荷物を背負っているだろうに、私のことを構わなくても先に進めるだろうに、立ち止まってくれる。ありがとう。

私がいつも、忘れ物ばかりするので、後ろを振り返ってしまうので、なかなか前に進めない。

おまけにすぐに迷子になる。迷子になって、心細くなって、立ち往生していても、見えない何かに背中を押されるように一方へ向かって歩けるようになる。

歩いているうちに、一筋の光が見えてくる。

一人ぼっちで歩いているわけじゃないのだ。
 

 

2002年10月4日

秋の日

いつもどおり暮らしていても、ある日、突然、何かが終わってしまう事がある。

朝、目覚めたら、新しい一日が始まる。それなのに、私のこれからの毎日から、突然、消えてしまった。

逝ってしまった人からは何も聞く事ができない。何故逝ってしまったのか、自分が何かいけないことをしたのか、今、何をするべきなのか、あの時、何かすべきだったのか、毎日考えてみる。

逝ってしまった人は何も語らない。語らない人に向かって、毎日独り事をいい続ける。

わずかな想い出やら記憶やらを繋ぎ合わせて、ほどいて、また繋ぎ合わせて虚しく時が流れる。

疲れた頭で必死で考える。混乱しながらも、手探りで、つかめるものを探してみる。探し物も見つからず、混沌のまま時間だけが過ぎていく。

去ってしまったものはもう取り戻せないと気がつくまで、探し続ける。

疲れ果てた末、今の自分を見つめてみる。出逢えたから、今の自分があることに。

私から去ってしまった人たち。でも、私は全てを取り上げられたわけではなく、残されたものもたくさんある。

もしも、また、逢える日があるなら、笑って、今までのことを話せるようになっていたい。ふたたび逢った時、自身の足で立ち上がった自分を見てもらえるように。めぐりあえてよかったと思ってもらえるように。
 

 

2002年10月5日

新札

先日、新しく発行された(される?)10ドル札を見せてもらった。

これが家に落ちていても、上のムスコが見つけたら、紙ひこうきにして飛ばされることは間違いなし。

下のムスコが見つければ、今、凝ってるハサミで切りきざまれることは間違いなし。

道端に落ちていても、ゲームセンターの割引券だと勘違いして、拾う人は少ないと思う。お金に縁がなくて、めったにお金拾わない私だけど、そう思う。

なんていうかさあー。どういう意図でこの新札をデザインしたんだろう?10ドルという小額の肩身の狭さから、外見ぐらいハデハデでいこうと企んだのか。

1000ドルとか500ドルなら、多少、変ちくりんなデザインでも、額の大きさから存在感は大きい。10ドルはどんなに頑張っても10ドル。

なんとなく、10ドル札のささやかなレジスタンスのような気がして、いじらしくなってしまった。道に落ちていたら、拾うように気をつけて見てみますー。
 

 

2002年10月6日

新物

実家の母から、郷里でとれる新米が送られてきた。日本の米です。コシヒカリ。新米。うれしい。。

新米はやっぱりおいしい。新米は、水を多く含んでいるから、いつもより ちょっと水を少なめに炊く。炊き上がりは、真っ白でつやつやの表面。口に含むと、新米独特の歯ざわりがおいしい。

米でも野菜でも魚でも、旬のものはおいしい。スーパーへ行けば、一年中、同じ野菜が並び、季節はずれの食べ物も食べられるようになったけど、とれたてのモノに比べると、味はやはり落ちるし、風情もないし。

ついでに、秋刀魚の新物も買ってきた。秋刀魚は今が旬。脂ののり方が違うのだよ。新物とそうでないものは。大根おろしをたっぷり添えて、新米といただく。日本の梨も送ってくれたので、食後は、梨。

ごちそうさまー。美味しかったです。
 

 

2002年10月7日

予定のない日曜日

いつもより遅めに起きた日曜日。今日は、なんにも予定がない。

午前中、夕食用の煮込み料理の支度をして、子ども達と一緒に早めの昼食を食べる。午後はぽっかり空いている。特に何も予定はないけれど、無理やり用事を作って、遠出することにした。

家の前から、バスに乗ろう。私は移動手段として、バスはあまり利用しない。だって、時間がかかるから。もっぱら、電車かタクシーだけど、今日は、むしろ時間を潰したかったのであえて、バスで行く。

二人の小さいムスコたちはきゃあきゃあはしゃぎながら、仔犬のようにじゃれあって私の周りを走り回っている。ムスコ二人は、仲がいいので、私が特別かまってやらなくても、二人でいつも遊んでいる。この日は、バスに乗れるので、いつもよりテンション高め。興奮のるつぼ。

バスの二階に乗り、いつもより高い所から、香港の風景を眺めていたら、来たばかりの頃を思い出した。時間がいっぱいあったけど、やることがなかったので、一人でバスに乗ってあちこち出かけていた日のこと。

目的地と定めた場所で、バスを降りる。香港の街中をぶらぶら歩く。いつもなら、早くしなさい!と子どもに言うのに、今日は時間がたっぷりあるので、好きに歩けばいいや。

仔犬のようにあちこち覗きながら、ちょっとずつ進んでいく。ほんとにイヌみたいだ。イヌの散歩みたい。喋る仔犬たちと手をつなぎ、ゆっくり時間を過ごす。

途中、小説を2冊買い、喉が渇いたので、カフェに入った。私はコーヒーが好きなので、一日に何杯も飲む。
「マミィちゃんはこーしー。ボクはじゅーしゅ♪」
あらら。よくわかってるな。ムスコ二人意味不明の会話を楽しみ、私は買ったばかりの小説に目を通す。

帰りも、来た道をバスで戻った。家に帰っても、まだ、遊びたりないようなので公園へゴー。ついでに、読みかけの小説も持っていく。

公園の脇に腰をおろし、小説をめくりながら、子どもの姿を追う。みずいろの空がしだいに、薄墨に染まり、秋の高い空がだんだん落ちてくる。肌寒かった。頁をめくる指も冷たくなってきた。時計を見ると、日が早く落ちてきているのがわかる。子どももくしゃみをするので、家に帰ろう。

まだ遊びたいと、地面にひっくり返ってだだをこねるちっちゃい方の仔犬をおんぶして、家路につく。もう一日が終わっちゃった。でも、楽しかった。

 

 

2002年10月8日

くるくるまわる

くるくるまわる、回る回転寿司。回転寿司デビュー。

もちろん、日本では行ったことがあったけど、香港では初めて。香港に来たばかりの8年前。

「香港の回転寿司は、不思議なネタが乗っているのよ。たくわんとか、かにかまとか、キウィとか。行っちゃダメよ」

この言葉を、8年間、疑いもせず、信じて、素直に行かなかったのはやっぱり私らしいでしょ(→ばかともいう)。でも、いっぺん行ってみたかったの。

最初に行った店は、満席で入れなかった。待つのは大好きな私だけど、お腹がすいていたので、2軒目に向かう。

ドアを開けた瞬間、店内の冷気が肌を突き刺すようだった。この店は、もしや何かにとりつかれているのか!?それとも、私がとりつかれているのか!?ちがうちがう。冷房の効きすぎだ。寒いから帰ろう。

店内から、黒服のお兄さんたちが奥は寒くないよと言うので(いちおう、回転寿司です)、ためしに店内に入ると、思ったほど寒くない。後ろには、寒くて震えている私達のためにショールを用意して、黒服たちが背後霊のように立っていた。

ショールをかけて、お茶をすすりながら、目の前の回る寿司たちを見ていた。一体、何十回転したのか、疲れた寿司たちと、アイスクリームやら、クレジットカードの広告が回っている。

単品で注文だ。鉄火巻き食べたい。えー、ないー。マグロのない寿司屋。しょうがないな。じゃあ、カルフォルニア巻きと、エビ天巻(名古屋みたい)、タコわさびはヒットだった。その他、もろもろ、ビールのつまみの後の、軽い軽食として食べる。

店内で流されていた誰も見ていない映画が虚しくうつる夜の回転寿司屋だった。

帰りがけ、肩にかけてもらったショールを体の一部のようにまとい、帰ろうとした友人が最後のヒットだった。あはは。今度は別の店に行きましょう。

 

 

2002年10月9日

香港の季節

香港は、日本のような微妙な季節の移り変わりはないけれど、季節はちゃんとある。

長い長い夏の後、短い秋と冬が来て、少し暖かくなったと思ったら、また、夏に舞い戻る。今は、香港で一番過ごしやすい短い秋が来たよう。

こんな日はやっぱり外に出よう。ムスコたちは、それぞれ自転車、三輪車に乗って、公園通いを始めた。たっぷり2時間は遊ぶ。日が沈むのが早いので、あっという間に暗くなってしまう。それでも、名残惜しげに、街灯のともり始めた公園内を走り回る。

肌寒くはあるけど、日本のような乾燥した肌に突き刺すような冷えがないので、心地よいくらいの肌寒さ。

この子達は、大きくなったら、この香港の風景を想い出すんだろうか。懐かしく感じる日が来るんだろうか。私自身、長く住んでいるこの土地を、いつか、どう思い出すんだろう。
 

 

2002年10月10日

前にすすむこと

最初の一歩を踏み出すのは怖い。その先に、何があるかわからないから。何が起こるかわからないから。

その場にじっとしているのも不安。何もできない不安や焦燥があるから。

後ろを振り向くのは悲しい。過去はもう終わってしまっていることばかりなので、変えようがないから悲しい。変えられない想い出の中にひたってしまうから、辛い。

一歩だけ前に足を踏み出してみたらどうだろう?時期とタイミングが、自分を前に押し出してくれることがある。

思い切って、前に踏み出したら、怖くなかった。やってみたら、怖くなかった。注意深く、ふらふらしないで歩いていけば、ちゃんと歩ける。

一歩前進したら、今までと違う景色が見えた。

歩き出せない不安も怖さも、後ろを振り返ってばかりの悲しみもなかった。そこには、これから変えられる未来が待っていた。

前に進めたことが嬉しくて、勇気が出てきて、逃げ出さなかったことが誇らしくて、目の前の道が少し拓けた。

 

 

2002年10月11日

学んで欲しいこと

下のムスコが、顔にひっかき傷を作って、幼稚園から帰ってきた。先生が言うには、お友達とトラぶったらしい。

下のムスコは、絶対に引かない。自分が気に入らないことがあると、泣き喚きながら我を通す。家では一番ちびっこだから、優遇されても、外の社会ではそんなわけにはいかない。たまにはいいのだ。世の中、自分の思い通りに行くとはかぎらないのだよ。よくわかったか。

この学習成果があったことを願う。

上のムスコも、絶対に引かなかった。気に入らないことがあると、泣き喚き、時には、頭を地面に叩きつけながら怒っていた。当時、一番ちびっこだったから。気は弱いのに、頑固。

弟が生まれ、我慢の生活を強いられるうちに、多少、物分りがよくなった。幼稚園に通い出し、人と揉まれることも増えてきたせいか、それなりに、柔軟になったかも。

我慢したり、人に合わせたり、喧嘩したり、楽しく過ごせる知恵を学ぶのは、やっぱり外の社会から。家の中の、小さな世界で教えるには限界がある。家で、親から学んだり得たりすることは、もちろんたくさんあるけど、社会性はやはり色んな人と交わって、体で、心で感じていかないとわからない。

子ども達が大きくなって、外の広い世界に飛び出したとき、ぶち当たる壁は大きいだろう。でも、壁に当たっても、砕けてしまわないように、また、立ち上がれるように、再び、歩き出せるようになって欲しいなと思う。人が悲しんでいる時、自分も悲しいと心で感じられるように、楽しい時は楽しいと素直に感じられるように、笑えるようになって欲しいなと思う。

 

 

2002年10月12日

連休

日本も連休。香港も連休。今回は、仕事も学校も連休のところが多いのではないかしら。天気よし。気候よし。楽しい連休でありますように。

友人家族とご飯を食べにいった。子供同士集まるとどうしてこんなにテンションが上がるのだろう?うるさいったらありゃしない。早めに食事を切り上げて、さっさと出たけど、周りのお客さんはさぞ、迷惑だったに違いない。やっぱり、子連れで行く店は考えないといけないとしみじみ思った。こっちも食べた気がしなかった。

その後、公園へ連れて行くと、放し飼いにされた仔犬のように走り回っていた。おやつ時、お腹がすいたらしく、パンをあげる。この仔犬ちゃんたちには、高級な食事もおしゃれなレストランもいらない。これで十分。美味しい店でゆっくり食事を楽しむなら、やはり、大人たちだけで行くほうが、双方にとって居心地がいいに違いない。

真夏の熱気が去り、穏やかな気候になりつつある頃。暑くて、湿気を含んだ重い空気から、乾いた、埃っぽい風が気持ちがいい。さて、明日はどこに行こうかな。
 

 

2002年10月14日

疲れた体に

最近、疲れ気味だったので、久々にボディマッサージをしてもらう。

マッサージをしてもらうのは好きなんだけど、痛いのはいや。でも、なかには、やみくもに強く揉んだり、ツボを無視して押してくるマッサージ師もいて、ツボをはずされるたびに、悲鳴をあげなければいけない。

最初の一押しで、うまいかそうでないかわかる。今回のマッサージ。いきなり、凝り固まっている肩と首を力いっぱい押されたので、強くしないでとお願い。

力を入れないでマッサージされても、された気がしないと言っていた人もいたから、体の硬さとか凝り具合とか好みもあるんだろう。私は、強く押されるのがだめなタイプ。特に、細い指の人が、力いっぱいツボをはずして押してくると、痛みのあまり泣けてしまう。

力を抜いてマッサージしてもらうと、だんだんリラックスしてきて、気持ちよくなってきた。30分くらい経つと、体も柔らかくなり、痛みは感じなくなる。マッサージが終わる頃には、眠ってしまいそうだった。

マッサージの後、バスタブにお湯をはり、ゆっくりと体をしずめる。お風呂の後、ものすごく喉が渇いていることに気づき、温かいジャスミン茶を飲む。

ベッドに横になると、めずらしくそのまま寝付いてしまった。明け方まで、目を覚まさずに、眠ることができた。

慣れないマッサージからの揉み返しか。体の筋肉が痛くて、だるい。小さいムスコたちが、ちっちゃい手で叩いてくれるマッサージが気持ちよかった。今日は、いいお天気だから、もうちょっと頑張ろうかな。
 

 

2002年10月15日

「モモちゃんとアカネちゃん」

子どもの頃、大好きだった絵本があった。小さいモモちゃんと、モモちゃんと仲良しの黒ネコのプー、そして、もっと小さいモモちゃんの妹のアカネちゃんのお話。女の子が生まれたら、絶対に、「モモちゃんとアカネちゃん」と名づけようと思っていたくらい、好きだった。

モモちゃんのお話は、私が小さな子どもの頃、読んでいたが、大きくなるにつれて読まなくなった。でも、モモちゃんとアカネちゃんのお話は、その後も、ずっと続いていたらしい。

ふとした折、もう一度、読んでみたくなった。モモちゃんとアカネちゃんは、どんなに大きくなっただろう。そして、私はもう子どもではなくなった。

子どもの私は、自分の都合のいいように、理解できる範囲で物語を読んでいたのだろう。大人になった私が、もう一度読み直してみる。モモちゃんとアカネちゃんのもう一つの物語。

モモちゃんとアカネちゃんのお母さんが、森のおばあさんのところに相談に行く。おばあさんは、こんなことを言う。

「歩く木とそだつ木が、小さな植木ばちの中で、根っこがからまりあって、どっちも枯れそうになるところへきているんだよ。もちろん、植木ばちの中で、おたがいよりそってそだつ木もあるし、大きくそだつ木に、つたがからまるように暮らしていくこともある。だがねえ、歩く木というもんは悲しいもんだ。歩かないではいられないさ。・・・でもおまえさんは、やどり木にはなれない。だからしかたないのさ」

子どもの私は、「歩く木」と「そだつ気」のちがいも、「しかたない」の言葉の持つ意味もわからなかった。だから、覚えていないのだ。モモちゃんとアカネちゃんのもう一つの物語。
 

 

2002年10月16日

霍乱

めったに風邪も引かない頑丈な人が、寝込んだりすると「鬼の霍乱」と言われてしまう。

私は体が丈夫。ふだんは、早起きして、お弁当作って、仕事して、子どもと遊んで、ご飯作って、子どもが寝たらジムに行ったりする。貧乏性なので、じっとできない。ちょっとの風邪なら、ふつうに動き回り、気合で治す。

数日前から、上のムスコが風邪を引き、めずらしく幼稚園を休ませた。幸いなことに、ひどくなる前に、治りつつある。そして、私がその風邪をもらう。

ずっと喉が痛いなあと思っていたが、あめをなめたり、うがいをしたり、風邪薬を飲んだりしてごまかしてきた。今朝からはひどいセキ、ノドも痛い、ふらふらする。なのに、仕事してるし、PCしてる。ああ、これは鬼の霍乱かしら。

前回の「霍乱」はいつだったかなと思い起こしてみる。そうだ、今年の3月。そりゃあもう悲惨なインフルエンザにかかり、発熱、嘔吐、食欲不振、胃痛、関節痛で数日間身動きが取れなかった。

今回はそこまでいってないから、たいした霍乱じゃないな。余裕かましてる場合じゃないよ。早く寝なくちゃ。パソコンなんかしちゃだめ。・・・と、もう一人の私が早く寝なさいとせっつくので、これから、寝ます。みなさん、風邪には気をつけて。
 

 

2002年10月17日

「飛ぶ夢をしばらく見ない」

「飛ぶ夢」をしらばく見ていない。

「飛ぶ夢」をよく見ていた頃があった。大空をはばたくのではなくて、地面より少し高い所をふわふわ飛んでいる夢。いつの頃からか、見なくなった。

「落ちる夢」をよく見ていた頃もあった。高い所から、下に落ちていく夢。落ちていく瞬間、ぞっとするくらい怖くて、まっさかさまに落ちていきそうで、本当に怖かった。

最近、よく見るのは、「探す夢」。場所は、学校。昔、通ったことのある学校だったり、まったく知らない学校だったり、いろいろな学校が混ざったような不思議な学校だったり。

そこで、私は、自分の教室を探している。探しても、探しても、自分の行くべき教室が見つからない、私の机が見つからない、私の下足箱が見つからない。ひろい、ひろい校内をずっとずっと歩いていく。

他の人たちは、自分の教室を見つけ、自分の机に座り、自分の下足箱に靴を入れているのに、私だけ、見つからない。

結局、探しているだけで、行き先にたどりつけないまま、探し物も見つからないまま、夢は終わってしまう。

いつか、この夢を見なくなる日が来るのか。

知らないうちに、気づかないうちに、この夢を見ないことすら忘れてしまえますように。
 

 

2002年10月19日

カニの季節

カニ・カニ・カニ。そろそろ上海蟹の季節。

初めて食べた時は、正直いって、そんなに美味しいかなあって感じだった。日本の毛蟹の方が美味しいじゃん。身もちょっとしかないしさ。

それでも、香港の長い長い夏が終わって、短い秋がやってくる頃に、街のあちこちに上海蟹の旗を見ると、やっぱり食べたくなる。これは、数少ない、香港の季節の風物。

カニの季節が終わる頃、クリスマスがやってきて、年が明ける。きらきらひかる、クリスマスのイルミネーションの前に、にぎやかな上海蟹の旗が街のあちこちにあがる。これがないと一年が終わらないのだ。

もうすぐ終わる一年を思い出しながら、上海蟹をしゃぶる。そろそろ行かねば。。
 

 

2002年10月21日

壊れてしまったもの

眠くて、頭がぼーっとしているせいなのか、お皿を割ってしまった。いただきものの気に入っていたお皿だったけど、こなごなになってしまったから仕方がない。一度、壊れてしまったものは、元通りにはならないのだから。

壊れてしまった後で、後悔しても、修復できないから。壊れないように、普段から努力し続けないといけなかったのに。そこに「在る」だけで、永遠にずっと「在る」と思い込み、大切にしなかったから、いけないんだ。

まだ、頭がぼっとする。自分が壊れそうだったら、壊れないように、気をつけないようにしないといけない。守れるのは自分だけだから。

大切なものがあると気づいたら、その時から、大切にし続けないといけない。そうじゃないと、後から気づいても、もう遅いから。

一度、壊れて、こなごなになってしまったものは、もう元通りにはならない。繋ぎ合わせようとしても、元通りにはならないから。

 

 

2002年10月22日

夜の闇

夜、電気を消して、ベッドにもぐりこむと、窓から街の灯りが見える。けっして、部屋中が夜の闇に満たされることはない。

オレンジ色の、おもちゃ箱をひっくり返したような灯りが、香港の夜にいっぱい広がる。オレンジ色の柔らかい街の灯りに眺めながら、もう一度、眠りにつく。

私が生まれ育った国の、灰色の街の青白い灯りより、暖かい色なので、一人でもあまり寂しくなかった。

灰色の街の夜は、部屋の明かりを消すと、部屋のすみずみまで、夜の闇に満たされる。すべての音も、色も、光も飲み込んでしまうような、真っ暗な夜。静かな夜。

眠れないので、いろいろ考える。明るい夜、静かな夜。夜は夜。深い眠りに憧れてみる。真っ暗な夜の闇は、私に眠りをもたらしてくれるのか。

 

 

2002年10月23日

ボディコンバット

ボディコンバットを初めて、5ヶ月くらいになる。途中、日本に1ヶ月間帰省してたから、正味4ヶ月間。

要は、エアロビみたいなもんなんだけど、ノリのいい曲にあわせて、キックしたり、パンチしたりと、ストレス解消にはぴったりなのだ。キック、パンチ、飛び蹴り、チョップなんかは、空手とか太極拳とかキックボクシングを合わせたようないい加減な感じ。発祥の地は、ニュージーランドらしい。

太極拳風のポーズをとったかと思うと、いきなり、キックボクシングになったり、空手になったり、わけわかんない感じが受けているのか、日本でも徐々に人気が出ているらしい。

私のプロフィールに、「ボディコンバット」を入れたら、検索をたどりながら、ボディコンバットの問い合わせを受けるようになった。そんなボディコンバットがらみの縁で、日本の方と知り合いになり、ボディコンバットで使っている曲CDをいただいた。

かなりノリのいい曲で、最近は、PCタイムのBGMになりつつある。二人のちっちゃいムスコ達は、
「たいしょう(=体操)のおうた〜」
とかいいながら、見よう見まねで、パンチの練習したりしている。

これって、子どもの体操に向いてるのではないか!?と真面目に考えている母であった。

 

 

2002年10月24日

体調不良

うーーむ。胃が痛い。。風邪も治らないどころか、ひどくなってる。。肩も首もがちがちに凝り固まってる。

今日、家で、細々した仕事の整理をしたり、お片付けをしたり、HPの更新をしたりしているうちに、午前中が終わってしまった。遅いお昼を食べたら、いつものように、猛烈な眠気に襲われ、襲われるままに眠ってしまった。30分くらいうとうとしてたかなあ。

起き上がったら、体の節々が痛い。。やっぱり、風邪みたいだ。。今、風邪薬飲んだら、夕方の仕事ができなくなるだろうと思い、飲まずに我慢。3時半に、上のムスコをお迎えに行ったら、ふらふらしてしまった。

寝起きで、髪はぼさぼさ、目の下にクマ作ってるし、こんな日は誰にも会いたくないなあと思ったら、いろんな人に会っちゃった。あはは。

どうにか仕事を片付け、夕ご飯の支度をしたけど、食欲なし。胃が痛いから、うどんにしよう。うどんとおにぎり。炭水化物ばっかり。。でも、買い物にも行けなかったから、仕方がない。

・・・風邪薬を飲んで、早めに寝ようかな。

 

 

2002年10月26日

疲れちゃったの

今日は、秋晴れの、さわやかないいお天気。先月あたり、季節の変わり目から風邪を引き始め、すっかり季節が変わってしまった今になっても、まだ、よくならない。

最初は、ノドが痛いだけだったのが、そのうち、セキも出始め、鼻水も出るようになり、炎症部位も徐々に下に降りてきているような気がする。で、昨日、抗生物質をもらった。

肩こり、首こりも、日増しにひどくなり、ひどい時は痛くて、肩もあがらず、夜も眠れない。マッサージ・・とも思ったけど、この状態で、マッサージを受けたら、もみ返しで熱が出るのは間違いなし。とりあえず、風邪のせいもあるだろうから、風邪が少しよくなったら、行ってこよう。

秋晴れの、さわやかないいお天気だけど、今日は、家でじっとすることにする。何にもする気が起こらず、何も考える気にもなれないので。

 

 

2002年10月27日

大きな森に

大きな森には、木がいっぱい茂っていて、それぞれが、地面に根っこを生やし、枝を伸ばして、育っている。

大きくて、太い根っこでどっかり茂っている木もあれば、つたのような細い木もあり、日かげを好む木もあれば、日の光を好む木もある。

互いに寄り添って、育っていく木々。どちらかが一方の木に寄り添うように育つこともあれば、つたがからまりあうように成長する木もある。互いに支えあいながら、栄養分や日の光を分かち合いながら、木々は大きく育ち、実を結ぶ。

木々のなかには、互いの根っこがからまりあい、枝を伸ばしすぎ、相手を傷つけ、光も栄養も得られなくなり、枯れてしまいそうになる。実を持つ木ならなおさら、栄養も日の光も必要なのに、木が枯れれば、実も花もしぼんでしまう。

そんな時は、生き残るために、木々は、新しい地面を探しに出かける。大きく育っていれば育っているほど、実が結んでいればいるほど、重くて、動くことはむずかしい。でも、これ以上、同じ場所に残っていると、枯れてしまうから、動かなければならない。

もっと、日の光があたって、地面に大きく根をはり、空に向かって自由に枝を伸ばせる場所に。そうしたら、もう一度、生き返ることができる。木々も実も。
 

 

2002年10月28日

お熱出ちゃった

昨日、久しぶりにお熱が出てしまった。たいした熱じゃないのに、しんどい。子どもが高熱でもぴんぴん元気してることを考えると、大人の熱は体力の低下を著しく露見させるものであった。とほほ。。

飲んでいる薬が、眠気を誘うのか、土日は、ほとんど寝てくらした。微熱程度だったから、解熱剤はいらないかなと思い、解熱剤なしで過ごしていたが、熱による悪寒と頭痛に耐えられなくて、寝る前に解熱剤を飲む。解熱剤は、けっこうよく効いてくれ、飲むと随分、楽になった。

翌朝、熱は下がり、楽になったけど、まだ、ぼぼぼーっしてる。なのにー!!下のムスコが、休み明けで幼稚園に行きたくないとダダをこね(休み中、遊びすぎ)、しかも、幼稚園バスの前で大暴れをかまし、結局、幼稚園まで付き添うはめに。はあーー。。

下のムスコを幼稚園に捨てて・・・じゃなくて、置いてかえると、外は、小雨が降っていた。ハロウィンの買い物に行きたかったけど、明日にしようかなあ。
 

 

2002年10月29日

「人間失格」

「人間失格」。太宰 治じゃないけど、人間に失格も合格もあるんだろうか?

生きるのに、正しい生き方とか間違った生き方とかそもそもあるんだろうか?

人によって、考え方とか価値観は違うけど、違うのは当たり前。同じ人間なんていないのだから。でも、それを「失格」なんて受けとめないでほしい。

何かが変わる時、予期せぬ出来事が起こる時、自分が受け入れがたい時、自分を肯定できなくなってしまった時、それは、「失格」じゃなくて、「失敗」でもなくて、自分が大切な何かを学ばなければいけない「時期」にすぎないと思うのに。

誰だって、自分を悪くは考えたくないから、自分を守るために、相手を攻撃したり、卑下したりしてしまうことはある。それが、何かがわかるための、「気づき」になればそれでいい。

自分を守るために、相手を傷つけて、人の心の中に土足であがって、それで、満足できるんだろうかな。幸せなんだろうかな。

考えすぎて、頭が痛くなってしまった。
 

 

2002年10月31日

ハロウィン

今日は、ハロウィン。

日本にはない行事だけど、ここ香港は、外国人も多く、インターナショナルな国なので、一部では、ハロウィンを楽しんでいるよう。

うちの場合、二人のムスコたちは仮装にまったく興味をしめさなかったこともあり、毎年、適当にすませてきた。例えば、家にあった空手の胴着を着せて、「ジャパニーズ・ボーイ」とか、みやげにもらったチャイナ服を着せて、「チャイニーズ・ボーイ」とか。服を着せる時は、そりゃもう嫌がって、大変だった。

今年は、幼稚園でハロウィンのお祭りをやることになり、たまには、ちゃんとしたものを着せてやりたいという母の願いにより、ムスコ達に意見を求めてみた。

上のムスコは、ネコになりたいという。
下のムスコは、イヌになりたいという。

イヌ・ネコの衣装が、スタンレーあたりにあるという噂を聞きつけ、ムスコ同伴で、ハロウィン衣装探しに出かけた。

スタンレーの路地裏の奥に、仮装の衣装が山積みに売られていた。イヌ・ネコは・・・と、探していると、上に、ヒーローものの衣装がぶらさがっているのを、ムスコ達が発見。

「ありがいい!」

突然、気が変わったらしい。結局、パワーレンジャー(?)の赤と黄色を買うことにする。上下シャツとズボンが分かれていて、かぶりもののマスク付きで、80ドル。

試着させたら、下のムスコが着て帰りたいとダダをこねやがり、上のシャツだけ着せて帰った。肩のあたりに、羽のようなものが付いてる、えらく目立つ服だったが、まあ、いいか。

そんなわけで、今日は、二人とも、レンジャー部隊なりきりで出かけていった。これから、お菓子を用意しなくっちゃ。